神楽坂・路地シンポジウム

 夕方6時から神楽坂の鳥茶屋横の路地の奥、東京理科大学森戸記念館で、連続・路地シンポジウム(NPO法人粋なまちづくり倶楽部主催)。今回が3回目で、神楽坂に住み始めた縁もあり、現代の「路地」文化の可能性というものにも関心があって、前回から参加している。今日のテーマは「江戸の粋と路地の文化」と題して法政大学の田中優子教授が講演。江戸学の大家による話は面白いネタが満載だった。特に吉原の路地や、「あがりがまち」が印象に残る。
 江戸の路地といっても、浮世絵に残っているような路地は、霞ヶ関(大きな武家屋敷が並び、坂上からは東京湾が見える“名所”)、日本橋、それに吉原遊郭が代表的だと言う。神楽坂の路地は、そもそも花柳界の勃興が明治からだし、戦争で全部燃えているし、江戸時代は、下級武士の街、だったらしく、路地の記録はほぼ残っていない(前回のシンポでもそういう報告があった)。
 そのころの路地、というのは、長屋があって、そこに木戸があって、それが「路地空間」を作り出しているんですね。その中は、複合ショッピング・オフィスセンターであり、かつ上水道、排泄物リサイクル、ゴミの搬出(埋め立て用)など、かなり高度な生活インフラがあったらしい。
 中でも面白かったのは、“あがりがまち”。膝丈の玄関で、来客者がついつい“腰を掛けてしまう”。つまり、玄関には入るのだが、家の中には入らない。外での立ち話でもなく、家に上がってもらって話すでもない、その中間的なコミュニケーションが、そこには成立している。過度に立ち入らず、さりとてよそよそしくない。なんとなく家の様子もわかり、それでも“知らない振りをする技法”を身につけている。現代にはなかなか見られないその構造と人間関係の関係性の指摘は面白かった。そういえば祖父の家もそうだったな。なぜかゴールデン街とかバンコクのパッポン通りを思い出す。
 吉原の大門をはじめ、木戸と路地も有名だったそうな。特に春は桜の名所として江戸の一大観光地だったが、実はこれ、開花直前に木々を持ってきて植え込み桜並木を路地の両脇に作り、花が終わるとまた抜いてしまうという。夏には1ヶ月のお祭りがあったりと、吉原は書き割りの街、「江戸時代のディズニーランド」だったそうな。
  1. トラックバックはまだありません。

コメントを残す