カテゴリー : event

クリス・アンダーソンから日本人への質問 ~『MAKERS』編集後記2

※以下はNHK出版の『MAKERS』サイト「MAKER MOVEMENT!!!」に寄稿したものを転載したもの。

___

 

「教えてほしい。彼は100%メイカーで、その価値観を共有しているのに、なぜ大企業に就職するんだろう?」


 それはWIRED Conference 2012の控え室での出来事だった。とある日本の学生とひとしきり話していたクリス・アンダーソンが、彼が去ったあとで真顔で僕に問いかけてきた。その学生さんは、デジタル・ファブリケーション機器に精通し、自分でプロトタイピングしてアイデアを形にすることに慣れ親しんだ、まさにMakerを絵に描いたような学生だった。その彼が就職先として選んだのは日本の大手電機メーカーだという。そのことにクリスはかなりショックを受けたようだった。

別に、大手電機メーカーが悪いというわけではもちろんない。『MAKERS』で描かれた「モノのロングテール」とはいわゆる「大手」がなくなることではなく、単に大手による「独占」がなくなるというものだ。だから選択肢が広がりより豊かになるという話にすぎない。それでも、優秀でMAKERSのスピリットを体現するような学生(新たなイノベーションを起こすロングテールの担い手)と、ヘッド部分に留まろうとしてグローバル経済の中でもがく姿が目立つ日本の大手電機メーカーとがなぜ結びつくのか、クリスの頭の中では理解できなかったようだ。それが冒頭のセリフにつながったのだろう。

でも、この話は単に一人の学生の将来に限ったものではない。それどころか、クリスが来日した2日間、メディアのインタビューやWIRED Conference 2012におけるセッションからも繰り返し明らかになった根本的な問題の、ひとつの変奏なのだと今では思える。たとえば来日中のインタビューでクリスが繰り返し受けた質問は、「メイカームーブメントは日本でも根付くのか?」というものだった。でも、ちょっと考えると、この問いの立て方は少しおかしい。

もし質問が「3Dプリンタはこれから安くなって普及するのか?」あるいは「ウェブによる様々なサービスは進化していくのか?」という質問だったら、それには単純にイエス(あるいはノー)と言えるだろう。でも、メイカームーブメントが人々のクリエイティビティを実現させ、自分の力でアイデアをプロダクトにする動きのことを言うのだとすれば、それが根付くのかどうかは、言い換えれば、クリエイティビティやアイデアを持ってそれを実現しようと日本人が思うかどうかは、日本人である僕たち自身のほうが分かるはずだ、と僕なら思う。

これと似たような話を、WIRED Conference 2012にも登壇した小林弘人さん(インフォバーンCEO)が以前語っていた。1994年当時にWIRED日本版を立ち上げ当初、彼はWIREDという雑誌について説明する前に、まずインターネットとは何かを繰り返し説明しなければならなかったそうだ。大手メディアの記者から、「そんなものが流行るんですか?」と言われたという(今だからこそ笑い話だけれど)。今回の来日時のインタビューでも、とある対談で、「3Dプリンタとは何なのか」を繰り返し質問され、その説明にクリスは20分を要した。大きな変革の予感にさらされた時、人は得てして目に見える分かりやすい変化に注目してしまう。本当に変化を迫られているのはテクノロジーではなくて、それを使いこなす僕ら自身なのに。

だから今回のWIRED Conference 2012の最後のトークセッションが、期せずして「日本人論」になったのもうなずける(詳しくはこちらのポストを読んでいただきたい)。あの控え室での会話で、「せっかくならこれをトークのネタにしては?」と僕が振ると、クリスは「いや、それはやめておこう」と応えた。それでも彼がけっきょくこの話題をトークセッションで出したのは、やはりそこに本質的な問題が横たわっていると感じたからなのかもしれない。

そのことは、壇上に上がった他のスピーカーからも伝わってきた。日本はものづくりにプライドと歴史と技術を持っている。AKQAバイス・プレジデントのレイ・イナモト氏は「日本が各国から一番クールだと思われいている」という調査を例に上げて、必要なのは自信だと説き、ファブラボジャパン発起人、慶應義塾大学環境情報学部准教授である田中浩也氏は、工作機器こそ実は日本のお家芸なのだと国産メイカームーブメントを鼓舞した。

(参考)アドビ システムズ、“クリエイティビティ”に関する世界的な意識調査を実施

一方で、日本人は商品への愛情がないのではというPCHインターナショナルのリアム・ケイシーや、「なぜ大企業に就職するんだろう?」と疑問を持つクリスの目には、日本はまったく違った姿に写っている。この乖離はなんだろうか? そこにこそ、日本がメイカームーブメントに対峙することで明るみに出る、次の一歩のためのヒントがあるのではないだろうか?

例えばセッションの後に行なわれた会場からの質問が象徴的だった。ドアを作る製造会社を経営しているというその質問者は、「ドアについてコミュニティを作るといっても、ドアに興味がある人なんて少ないだろうし、オープンソースで開発といっても、中国にすぐ盗まれて終わりではないか?」と、メイカームーブメントをどう自社で活かせばいいのかという主旨の質問をした。コミュニティやオープンソースの部分こそ、日本でメイカームーブメントが進展していく上でもっとも重要な課題ではないかと僕も常々思っている。

それについてクリスは、「ドアはまだまだ進化できるし(たとえば施錠の有無がスマホから分かったりとか、鍵がなくても特定の人を認識して自動で開くとか、誰がいつ通過したかがログとしてとれるとか、いくらでも考えられるだろう)、ネットでそれを投げかければ、様々な人が、様々なアイデアやソリューションを出してくれるはずだ」と答え、ユーザー視点から考えることを強調した。「あなたやあなたの周りには、まだまだアイデアがあるはずだ」と。

メイカームーブメントの根底には、個人が自分のアイデアやクリエイティビティを企業や大組織に頼らなくても実現できる、という思想がある。それは「パーソナル・コンピュータ革命」の時代から変わらない。その背景には、個の才能を誰もが活かせる社会こそ善なのだという信念があるからだ。クリスが本当に伝えたかったこと、あるいは彼が自らのキャリアによって身を持って示していたのもここなのだ。つまるところ、クリスの来日中に感じていた、ある種の「噛み合わなさ」のようなものは、恐らくこの前提のところをメイカームーブメントから感じられるかどうかにあるのかもしれない。

日本はモノづくりや技術、それにクリエイティビティやアイデアにおいても素晴らしいものを持った国だ、でもそれを大企業に頼らず個人やチームで実現していくには、メイカームーブメントを「アメリカから来たブーム」とだけ捉えるのではなく、自らが積極的に取り込んでいくべきチャンスだと捉えなければならない。だからクリスはロールモデルの必要性を感じ、「日本からどんどんヒーローを出していき、『WIRED』日本版の表紙を飾ってもらいたい」と言ったのだろう。

夜に行なわれたWired Conferenceの第二部は、メイカームーブメントではなく『WIRED』本誌についてのクリスと若林編集長のセッションだった。最後に今後の『WIRED』についてアドバイスを求められたクリスはこんなことを言っている。「『WIRED』はつねにマジョリティによるメインカルチャーではなくサブカルチャーに注目し、時としてそれがスーパーカルチャーになるのを支えてきた。大企業や体制や既存組織の側ではなく、新しいムーブメントを始めようとするスタートアップや個人の側を応援してきた。今後もそうした雑誌であって欲しい」と。メイカームーブメント自体も、まさにその延長にある。果たして僕たちには出来るだろうか? そんな問いを投げかけられた、クリス来日の2日間だった。

広告

JMMでの10余年、そして新たなフェーズへ

村上龍さんが編集長を務めるメールマガジンJMM(Japan Mail Media)にかかわって早11年余りになりますが、今年いっぱいで、いったん編集部から離れることにしました。よい機会なのでここに記録として書き留めておきたいと思います。遡ること2000年の7月に念願の書籍編集部へ異動となった時に配属されたのが当時のJMM編集班でした。これは前年1999年3月にスタートしたメールマガジンJMMの書籍化を担当する編集部で、既に『JMM』Vol.1〜7を刊行していて、僕はシリーズ8からの参画となったわけですが、出版社に入社して5年目にして、憧れの書籍編集と憧れの村上龍さんと仕事をする機会を両方いっぺんに得た形になりました。

当時の単行本『JMM』は毎号1テーマで編まれていて、金融・財政・通貨といったテーマに即して金融/経済専門家による座談会、村上龍さんと専門家との対談、そして毎週のメールマガジンJMMからテーマに関連するコンテンツを入れるという3部構成になっていました。座談会や対談、それに装丁やタイトルの相談のたびに新宿の村上さんの定宿にお邪魔し、そのお仕事ぶりを間近から見ることができたのは貴重で刺激的な体験でしたし、座談会などを通して多くの寄稿家の方々ともお付き合いが生まれました。

僕にとってJMMは日々の勉強の場で、毎週月曜日版の「金融・経済の専門家に聞く」は、本当に「生きた経済」の勉強になりました。10年間、世の中のナマの動きを素材に毎週行われる村上さんと寄稿家の方々のQ&Aは、どんな教科書よりもリアルでした。毎週それを精読する役割だったお陰で、普段だったら頭に入らなくて読み飛ばしたりそのまま受信フォルダに眠ったままになりがちな難しいお題でも、隅々まで、いろいろな方々の視点を学ぶことが出来ました。経済学の学部生レベルぐらいの勉強は出来た気がします(笑

また、寄稿家の方々自身が今ではメディアで常連となっている方々が多く、
山崎元さん(楽天証券):著書多数、連載「ダイヤモンド・オンライン」「現代ビジネス」など http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/
北野一さん(JPモルガン証券チーフストラテジスト):『なぜグローバリゼーションで豊かになれないのか
菊地正俊さん(メリルリンチ日本証券調査部チーフ株式ストラテジスト):『外国人投資家が日本株を買う条件 』(日経新書)
土居丈朗さん(慶應義塾大学経済学部教授):『地方債改革の経済学』(日本経済新聞出版社)が第50回日経・経済図書文化賞、第29回サントリー学芸賞を同時受賞 http://web.econ.keio.ac.jp/staff/tdoi/
真壁昭夫さん:日経CNBC、連載「ダイヤモンド・オンライン」など
といったようにさまざまな著書やメディアでお見かけするようになり、嬉しい限りでもあります。僕自身は、三ツ谷誠さんと作った『僕らの経済民主主義』がキャリア初期の傑作(怪作?)として思い出深いです。

また、JMMでは月曜日版以外にも世界中から日本人寄稿家による寄稿を連載していました。これは「日本のメディアでは報じられない」世界の多角的な見方を提示するという、まさにJMMの基本方針を地でいく連載だったわけですが、「日本のメディアに接していても分からない情報や文脈に触れる」という意味でも、「日本のメディアの文脈にとらわれないモノの見方」を養うという意味でも、それは自分の今の翻訳書編集者としての資質を(あるいは国際結婚をしたプライベートな部分も?)作り上げたと言っても過言ではありません。

今でも寄稿家の方々とはよくお付き合いせさせていただいていて、「from 911/USAレポート」の冷泉彰彦さん(Newsweek日本版でも連載をされている)はニュージャージのご自宅までお邪魔させていただいたり、ファンの多かった「オランダ・ハーグより」の春具さんの家に泊まらせていただいたこともありました(お二人とも奥様の手料理が絶品でした)。ソウルのアン・ヨンヒさんには別の仕事でソウルに撮影に行った時にすっかりコーディネーション他でお世話になったり、「ロンドン〜スクエア・マイルから」を連載されていた丸國葉さんとはロンドンで妻ぐるみで食事に行ったり、「大陸の風 現地メディアに見る中国社会」の北京のふるまいよしこさん(こちらも今ではNewsweekでも連載されてます)や「レバノン:揺れるモザイク社会」の安武塔馬さんとは日本に来られた時にはお食事をする機会に恵まれました。「平らな国デンマーク/子育ての現場から」の高田ケラー有子さんは、Facebook友だちでもあります。

JMMシリーズの単行本化自体はVol.13(2001年5月)で終わったものの、その後もひきつづきJMMのコンテンツを発展させる形で単行本を作りました。思い出深いのは『おじいさんは山へ金儲けに』(2001年8月、今は文庫版が幻冬舎さんから出ています)や『収縮する世界、閉塞する日本─POST SEPTEMBER ELEVENTH』(2001年12月)、坂本龍一氏のオペラ『LIFE』のなかの詩をもとにはまのゆかさんが絵をつけた『ポストマン〜MONOLOGUE OF THE DEAD LETTERS POSTMAN』(2003年6月)、村上さんと安藤忠雄/利根川進/カルロス・ゴーン/猪口邦子/中田英寿各氏との対談集『人生における成功者の定義と条件』(2004年8月)などでしょうか。

また2003年からは、メールマガジンの配信自体をこの9年間、お手伝いすることになりました。JMMはもともと(有)向現(当時)の栄花均さんが発足以来運営していたのですが、それをバトンタッチする形で、寄稿家とやりとりしながらその原稿をメルマガのフォーマットに落としこみ、配信サイトから日々配信するという内容で、日々の編集者としての業務に加えて、ボランティアベースで個人として始めることになりました。当時は月・火・木・金・土と配信日があって、加えて突発的な特別号の配信もあり、ほぼ24/7状態でした。海外旅行先でもとにかく「配信」があり、南国スペインのビーチホテルで電話回線でネットに繋げて配信作業をしていて、当時の彼女に呆れられる、といったこともしばしばでした。

メールマガジンというメディアは古いようで新しく、新しいようで古いといえます。10年前に無料でこれだけのクオリティのコンテンツを流すのは画期的だったと思うし、今では同じようなメルマガが有料になって、普通にコアな読者に受け入れられている現実があります(ふるまいさんのメルマガはこちら)。JMMについては社内でスポンサードの提案を出したりもしたのですが、まだまだ当時、メルマガの価値について正しく判断できる機能が既存出版社にはありませんでした。NHKの番組でも『NHKスペシャル村上龍“失われた10年”を問う』といった番組などがあったのですが(すっかり「20年」になってしまったのもまたそれで感慨深いのですが)、その後、このJMMの資産を正当に受け継いだのはテレビ東京の『カンブリア宮殿』でしょう。

JMMは同じようなフォーマットで12年ほど続けているわけですが、そろそろ新しいフォーマットで、それこそフリーミアムを使いつつ、マネタイズする時期に来ているのだと思います。2003年以降、安定したサーバと配信環境、それにスポンサード先などを探して点々としていた時期もあったJMMですが、ここ5年は、もともと村上さんとキューババンドのプロデュースなどで一緒にやられていた(株)Griotさんが運営を引き受けたことで運営も磐石となり、また最近はそのGriotさんから電子書籍制作会社のG2010が生まれて、今後のJMMとのシナジー効果も期待されます。JMMの有料化やプレミアム会員構想、それに合わせたコンテンツの再編集などは幾度も議題に上がっては消えていったのですが、昨今の状況を見ていると月額数百円でメルマガを読む、という習慣も徐々に拡がっています。有り体に言って、たとえば村上龍さんならば、毎月の文芸誌連載以上のギャランティもまったく非現実的ではないでしょう。そういった意味で、ついに機が熟してきたのかもしれません。

そんな変革の時に自分が携われないことは残念ですが、今後のフェーズは「ボランティアのお手伝い」的にかかわることは難しいわけで、逆に言えば、そのような「非営利体制」がこれまでJMMの進化を阻害していたのではないかという反省もありつつ、今後はフルコミットメントできるグリオさんはじめみなさんに期待しながら新たなステップアップを応援していきたいと思います。十年一昔と言うぐらいにJMMと関わった時間は長く、こうしてその任を降りるとまるで定年を迎えたおじさんのような気分にもなるのですが、これまで得てきた経験、それに寄稿家の方々とのつながりは一生モノだと思っています。これからは一歩引いたところから、いままでどおりに熱い視線を送り続けたいと思います。

あと偶然ですが山崎元さんもブログでJMMについて最近書かれていました。あわせて御覧ください。
評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」:「JMM」の中間決算

新春ぐるんぐるんラウンジ

 友人のmarioさんのマリオ曼荼羅ライブを観に恵比寿のNADiff a/p/a/r/tへ。家から近くなったというのに、表参道のNADiffが移転してから行くのは初めて。そしてキャスはマリオ曼荼羅は初めて。エイミー・ベンダーの面々や、3minの高橋さん、BLANKの堀場さん姉妹とも久しぶりにお会いする。会場は4階のMAGIC ROOM??。こちらも清澄白河から引っ越してきた。昔そこでマリオ曼荼羅ウィークが開催されてカレークッキング+ライブドローイングを見たのはもう1年半前のこと。今回も適度な親密さを感じる箱で、cloudchairのアンビエント・サウンドにのって濃密な時間が過ごせるはず。さっそくワインをボトルで注文して地面にべったりと腰を落ち着ける。
 そのギターの音は本当に心地よくて、プログレとアンビエントの中間らへんで浮遊感に身をまかせているとその内ピンク・フロイドの壁の中に取り込まれてしまいそうな力強さを感じたりと、かなりもっていかれる音だったのだが、その中でmarioさんのドローイングは何か啓示を表すかのように次々と増殖いった。自分がかつてギターをやってたからかもしれないけれど、cloudchairさんの陶酔感は羨ましいほどに感じられた。marioさんもこの音を聴いて相当に気持ちいいはずなのに、なおかつ意思をもった線が次々と引かれていくそのある意味強靱な創造性に畏怖の念すら覚える。marioさんの言う「祈り」というもののもつ孤独さと強靱さは関係があるのかもしれない。僕にとっては浮遊する音を掴まえて黒い紙に白いドットの集積として定着させていく、言葉を使わない呪術師のようにも感じられた。キャスと手を繋ぎながらすっかり没頭。あっという間の夢のような幸せな時空間だった。でもワインのボトルはすっかり空いていた。

忘年会シーズン

 やはりすっかりblogをサボっていたので備忘録的にいくつか。
□10日 JMM以来のTさん、Mさん、渡辺タカコさん、エイガさんと神楽坂+81Restaurantで。金融危機の話からドバイでのビジネスまで、忘年会らしいスケールの大きな話。
□11日 タトル・モリの年末パーティ。
□13日 シングルチームMの誕生日祝いで桜新町の古無門へ。ここは武蔵野の雑木林をそのまま残した1600坪の大庭園にたたずむログハウスで食べる鉄板焼き。幻想的なロケーションにやられる。
□15日 オランダから帰国されていたJMMの春さんとNさんと山の上ホテルの天麩羅「山の上」でランチ。文人の宿としてあまりにも有名なこのホテルだけれど、食事をするのは初めてだったかも。
□16日 学生時代の友人たちと西麻布の胡同で赤鍋を囲む。
□17日 三浦展さん主催の忘年会で神宮前のyaoへ。モダン建築として余りにも有名なヴィラ・ビアンカのお店というのが三浦さんらしい。
□18日 元角川のYさんに誘われてエイミー・ベンダーの会へ。担当編集者のYさん、翻訳をされた管啓次郎さん、『私自身の見えない徴』や『燃えるスカートの少女(文庫版)』の装画を描かれた山田緑さん、写真家の藤部さんに、エージェントのマリオさんという陣容。下北のトロカデロハウスで気持ちのいい時間を過ごす。
□20日 自宅でホームパーティ。シェフの熊崎さんにシゲサチ、セキワさん、駒沢さん、Jill。
□21日 鷺沼駅前の坐・和民で自由が丘時代のバイト仲間たちと。久しぶりの顔ばかり。結婚して自由が丘の実家から出てなぜかみなこの鷺沼近辺に移り住んでいる都落ち組(本人談)。これはバイト仲間に限らず、小学校以来の地元の友人でいまだに地元に住んでいる人は極端に少ない。僕の実家もあざみ野に引っ越したし。で、坐・和民の安さに驚く。彼らのうち二家族は同じアパートの上下階に暮らしているという。こうして地元から出ないで生活をしていたら、生活コストはまったく違うんだろうなぁと改めて実感する。
□22日 JMMでお世話になっているGriotさんのパーティで桜新町のラ・ピアンタへ。ライブ盛りだくさんで楽しむ。
□26日 オーストラリアから遊びにきたCの友人スティーヴとクレアを連れて西麻布のひでへ。Cとスティーヴは馬刺に初トライ。締めの豚しゃぶと雑炊が絶品。彼らはこれから白馬、京都を巡って正月を広島で迎え、年明けに東京に戻ってくる。
□28日 高校時代の友人宅で恒例の大忘年会。毎年欠かさず忘年会と花見をやってもう18年(人生の半分か)。今年も大勢集まり、今年一番の深酒で年を忘れる(というか久しぶりに記憶を飛ばす)。
□30日 地元の同僚と目黒会を(たけなわ)で。Cのお披露目。
□おまけ 今年の師走は、責了もなく、予定通りに原稿が入ってこなかったりで、近年になく「忘年会仕様」の一ヶ月。さすがに最後は息切れして、28日から風邪っぽく、薬と栄養剤を毎日飲んでごまかしながら過ごすも大晦日についに発熱。寝込んだまま新年を迎える。

11月総括

 気がついたら2ヶ月もblogを放置していたので遅ればせながら備忘録の面目躍如として。1日はニューヨークから叔父夫婦が来日していて、定宿のグランドプリンス高輪のル・トリアノンで母とCと5人でディナー。翌2日はシングルチームで僕の誕生日(先月だけど)祝いを白金高輪の焼き肉ジャンボで。すべて黒毛和牛A5ランクというここの肉は本当にヤバい(けど高い)。その後は白金のきえんきえらで夜中まで。4日の夜はSHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERSのラボでハックネットの安岡洋一さんとLINE INC.の勝田隆夫さんのトークを拝聴。同い年で面白いことをやっている人たちが、最近どんどん頭角を現し始めているように思う。7日は装画を依頼するため白根ゆたんぽさんと代々木上原のカフェで打ち合わせ。夜は渋谷のなるきよ。先月来たときはヨウジヤマモトの専属シェフとしてパリコレに行っていた大将が今日はいる。10日は再びSPBSのラボでNumero編集長の田中杏子さんと丸山敬太さんのトークを拝聴。普段と畑違いの話がかえって新鮮。20日はドバイから帰ってきていたエイガさんとCと白金高輪の福わうちで。ここの刺身は熟成が効いて本当に別格のおいしさ。ドバイで寿司屋を開くエイガさんの何かヒントになればと思い。そのあとは行きつけのM Barで葉巻とワインを楽しむ。25日に半年に一度の健康診断。30代になってからおそらく初のオールA判定復帰。春からマンション内のジムに通いだしたのが奏効か。

『十七歳』刊行記念トーク@SHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERS

小林紀晴さんの『十七歳』刊行記念トークを聞きにSHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERSへ。対談のお相手はフリー編集者のタカザワケンジさん。夜20時からにもかかわらず、定員30名の即席店内会場も埋まり、終始和やかにトークは進む。タカザワさんの切り回しも素晴らしく、紀晴さんもリラックスされていたようだ。「小説 and/or 写真という表現」というテーマで話しが始まり、「フィクション/ノンフィクション」という境界が、「文章/写真」という表現方法とクロスしたときに立ち現れる絶妙な紀晴さんの立ち位置、というようなお話が興味深かった。『十七歳』から前作『父の感触』、そして写真集『はなはねに』、さらには初期の作品への言及もあって、写真好き、小説好き、両方にとって興味深い対談だったのではないだろうか。

 SHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERSは渋谷の奥地にあって、まだまだ知る人ぞ知る、という書店だけれど、洗練された店構えと品揃え(年代別の棚作り。例えばある作家の新作が出ても、その作家が80年代に属す、と判断すれば80年代の棚に並べられる)を始め、店名にもあるように出版=書店=編集をシームレスに繋げた事業形態が気概を感じさせる。代表の福井さんは大変に意欲的で、『ROCKS』の次号の特集ページの写真を見せていただく。これはヒット間違いなしでしょう。今回はBACHの山口さんのつてからSHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERSさんをご紹介いただいたのだが、もともと会社ととても近いこともあり、今後とも「地元活性化計画」を進めましょうと福井さんと話す。

小林紀晴写真展 『はなはねに』

 中野坂上の東京工芸大学写大ギャラリー小林紀晴さんの個展『はなはねに』のオープニング・パーティ。2年ぶりの個展開催で、同時発売された写真集『はなはねに』の作品が展示される。その作品世界は去年、文春から書き下ろしで刊行された『父の感触』を写真として表現したもの。NYでの911体験から父の死、子どもの誕生という時間の流れの中で、身の回りの大切なものたちへと帰還していく軌跡が表現されている。写真展と写真集のタイトル「はなはねに」は、「千載和歌集」の「花は根に鳥は古巣にかへるなり春のとまりをしる人ぞなき」からきている。文章と写真という別々の表現方法で、同じ世界を、どちらかがどちらかに寄りかかることなく、お互いが完全に独立しながらしかも共鳴し合っているという、希有な成功例だと思う。非常に見応えがあった。
 東京工芸大学は小林さんの母校でもあって、写大ギャラリーというのは特別の意味を持つ憧れのギャラリーだそうだ。もちろん、30年以上の歴史があって、細江英公(同大卒で名誉教授)や木村伊兵衛、土門拳をはじめ、国内外の大御所の展示を行い、また展示のオリジナルプリントをコレクションしていることでも有名。今回、小林紀晴さんは同ギャラリーの最年少での個展開催となった。
 二次会は中野坂上の居酒屋で。アサヒカメラの編集長と日本カメラの編集局長が揃い踏み。寝転びギョラニスト bigmouthさん会田法行さん永沼敦子さんなどたくさんの写真家の方々とお会いして(宮下マキさんもいた)楽しいひとときを過ごす。紀晴さんたちは明け方まで飲んだみたいだったけれど、僕は前日のお酒が残っていて夜中に帰宅。