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翻訳書の現在〜マスマーケットと開かれた知:アルファ・シノドス “α-synodos” vol.106+107

ご縁があってsynodosのメールマガジン「アルファ・シノドス “α-synodos” vol.106+107」に寄稿しました。有料のメルマガですが、次号発行以降なら転載可ということでもともと許可をいただいていて、この週末にデジタルガレージさん主宰の The New Context Conference 2012 TokyoでJoiさんのお話を聞いていてふと思い出したので転載します。とにかくいただいたお題が難しく、議論がやや散漫で晒すのは恥ずかしくもあるのですが、これが今の自分の力量と諦めて、ちゃんと残しておこうと。荻上チキさん、編集の河村信さん、本当にお世話になりました。

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synodos mail magazine

知性を高める情報メルマガ
アルファ・シノドス
“α-synodos”

vol.106+107(2012/8/25)

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★今号のトピックス

1.政治の競合モードを再考する
………………………吉田徹

2.早野龍五氏ロング・インタビュー2(聞き手:荻上チキ)
――原発事故後、なぜ早野氏は「黙らなかった」のか

3.対談/熊谷晋一郎×荻上チキ
誰のための「障害者総合支援法」

4.不充分な教育の代償
………………………畠山勝太

5. 対談/川口有美子×荻上チキ
「尊厳死」〜生と死をめぐる自己選択

6. インタビュー/ホンマタカシ(聞き手:永井雅也)
撮ることそれ自体――もう一つの見方

7. 翻訳書の現在 〜マスマーケットと開かれた知
………………………松島倫明

8. インタビュー/樽本周馬
国書刊行会《未来の出版、未知の編集》

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chapter 7
松島倫明
翻訳書の現在 〜マスマーケットと開かれた知

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思想書や難しい本は売れないというのは本当だろうか?
ネット時代の基本思想書3部作『フリー』『シェア』『パブリック』
の編集者による来るべき時代の、市場と知の新しい関係
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◇版権取得

今日もひとつ、ビッグタイトルをオークションで逃した。アメリカの超有名大学の某ラボの所長が描く、イノベーションを起こす21世紀型組織の作り方、といったテーマで、内容構成のプロポーザル(原稿はまだ1文字も執筆されていない)を読む限り、resilience、agile、pullといったキーワードとともにこれからの価値観とクリエイティビティの変容を捉えた刺激的な提言が詰まっていた。2年後に刊行予定のこのタイトルへの注目は当然のことながら世界的に高く、日本でも各出版社が翻訳権のオークションに参加し、高額ビッドの末にどこかの出版社へ落札されていった。

こうしたビッドによる版権取得は翻訳書出版においては日常の光景で、編集者にとってはタイトルの狩猟とともに、オークションを勝ち抜くべく社内を説得し賭け金を確保することも大事な仕事のひとつとなる。マスマーケットを狙って誰もが「勝負できるタイトル」だと思えば当然ビッドも白熱し、最後は各出版社の読みと体力勝負になっていく。今回がまさにこのケースだったわけだ。

翻訳書の出版において、もっともユニークかつ重要なのが、この「版権取得」だと言える。版権取得編集者という専門職をおく出版社もあるほどだ。毎日のように国内外のエージェントや海外の出版社から新しいタイトルの紹介がPDF添付のメールで送られてくるし、年に数回は海外のブックフェアに行って、向こうの権利者と次々とミーティングを交わして大量のタイトルを狩猟する。

それらはたいてい、本国でもまだ刊行前のもので、原稿段階で検討することもあれば、冒頭のようにまだ企画段階のプロポーザルが検討用資料ということもある。それだけをもとに「買い」を判断し、時には10万ドル以上のアドバンス(印税前払い)を提示していくのだ。

主に英語圏のタイトルの千本ノックを受けていて日々思うのは、その圧倒的な質と量だ。日本は世界でもっとも海外の書籍を翻訳して出版している国だと聞いたことがあるけれど、膨大な数の海外タイトルを日々検討して取捨選択してビッドしている現場から見れば、日本で実際に翻訳され出版されているタイトルなんて、ほんの上澄みに過ぎない。

そのことは編集者としてもったいなく思うわけだけれど、同じように「もったいない」と思うのは、せっかくこうしたセレクションを経て刊行された翻訳書でも、日本のマーケットで正当に認知されないまま書物の海に埋もれてしまうことがままあることだ(いわゆる「なんでこの本、日本では売れてないの!?」というやつだ。その先には「なんでこの本、日本では刊行されてないの!?」というバージョンもある……)。

◇一方通行

もちろん理由はたくさんあるだろう。ただそのひとつには、日本国内の言論の生態系なり知の体系が、海外と接続していないことが挙げられるはずだ。膨大な情報を受容はしているし翻訳もしているけれど、こちらからのアウトプットを輸出する機会が殆どない。有り体に言えば一方通行だ(それが辺境としての日本という国の成り立ちだとも言えるかもしれないが、ここでは深入りしない)。

『知はいかにして「再発明」されたか』(イアン・F・マクニーリー/ライザ・ウルヴァートン著、日経BP社)の中で、「グーテンベルク時代の始まりには、本よりもそれについて交わされる手紙による知的議論により権威があった」というくだりがある。本を文脈として位置づける相互のオープンな接続がなされることで、知識のネットワークが生まれ、海外の本も国内の文脈の中に有機的に結びつけることができたのだろう(それは現在のネット時代の知のメタファーにもなっている)。

その後、こうした知のネットワークは専門の分化と専門家の登場によって崩れ、新たにアカデミズム的な知の制度が誕生することになる。おそらく翻訳書の世界でも、制度化され閉じられた学術出版の世界では、相互参照システムがボーダーレスに働いているだろう。
だが、オープンな知の生態系、それこそ本誌シノドスが標榜するようなアクチュアルな領域では、アプリオリに文脈が整備されていることはなく、常にアクロバティックな知の再構築がなされなくてはならない。そして、オープンな知の生態系においては学術書よりもマスマーケットを狙った一般書にこそ、多様で開かれた本来の「知」が立ち現れるはずだ。そう思うのは、まさに翻訳書においてもっともアクチュアルで面白く、層が厚いのがこの領域だからでもある。

例えば僕が版権を取得した本で言えば、デジタル時代の新たな無料経済の可能性について書かれた『フリー』(NHK出版)がある。著者はデジタル/テクノロジー/サイエンス/カルチャーがクロスする領域を扱うWIRED誌の編集長クリス・アンダーソン。本書は「デジタル」「ビジネス」「マネー」といったジャンル分けも可能だけれど、その根底にあるのは「テクノロジーによって社会の大きなパラダイムチェンジが起こりつつある中で、次の時代を生きていくための思想」だ。

その後に続けて刊行した『シェア』(レイチェル・ボツマン他)や『パブリック』(ジェフ・ジャービス)も同様で、デジタルとインターネットの世界にもともと深くインストールされた原理が、社会を動かす下部構造となった現状を切り取っている。

『フリー』『シェア』『パブリック』が書店で並べられているのは「ビジネス書」のコーナーだろう。それでも「ネット時代の基本思想書3部作」と巷で呼ばれているように、この3冊が並ぶことで、西海岸的な楽観的テクノユートピア主義とリバタリアニズムを背景にした大きな潮流の中での、デジタルな国家・社会・経済・文化論のテキストとなっていることが読み取れるはずだ。つまりマスマーケットに向けて書かれたビジネス本の中にも、アクチュアルな知の領域を読み込むことができる。

◇ネット時代の基本思想書

そのことを的確に理解している一人が批評家の東浩紀氏で、3年前に『フリー』に寄せた書評では、「多くのネット関連の啓蒙書が、そのような観点から見ると新しい国家論や社会論に見えてきます。社会思想の専門家が人文書だけ読めばいい時代は、終わり始めています」(週刊朝日 2009.12.1)と結んでいる。そしてこの「ネット関連の啓蒙書」は、日本においては翻訳書がもっとも得意とする領域のひとつなのだ。

脱線になるが、東氏の同じ書評を今回読み返してみて以下の1文に目がとまった。「アンダーソンがこの新著で『フリー』をキーワードに描き出した問題、それは古い社会思想の言葉で言えば『公共性』の問題にほかなりません」。これは『フリー』から『シェア』、そして『パブリック』へと、各テーマが内包する問題意識をさらに掘り下げていった結果つながっていった一連の流れを、驚くほど正確に予言している。

面白いのは、この3冊はアメリカではまったくバラバラに刊行されたものだということだ。先ほど、翻訳書は文脈を剥がされて刊行されると書いたけれど、これらはそれを逆手にとって、まさに「3部作」という文脈を作り上げて日本で刊行したものだった。翻訳書の編集者がある種のキュレーターでもあるのはこういった意味においてであり、後に『フリー』のクリス・アンダーソンと『シェア』のレイチェル・ボッツマンは、ロンドンで行われたWIRED Conference 2011で共演しているので、この「キュレーション」自体がまた、必然にして予言的でもあった。

◇変化はすでに起こっている

さて、話を戻して、新しい知のネットワークの中でマスマーケットを狙った翻訳書(例えば『フリー』は18万部のベストセラーとなった)がどうして面白いのかをもう少し考えてみよう。もちろんいろいろな視点があるはずだ。でも版権取得編集者としてまずは、コンテンツが生成する場、それもクリエイティブなコンテンツが生成する場を考えてみたい。

版権取得において僕がいつも心がけているのは、今後5年、10年の社会、文化、経済のパラダイムチェンジを描き出すような、長いパースペクティブをもったタイトルを見つけることだ。その理由は「本」というメディアの特性にもある。これだけリアルタイムのフロー情報が行き交い、情報の量もチャネルも爆発的に増えた現代において、本は情報の「ストック」としての機能を期待されている。

突発的な時事問題や雑誌の特集記事で事足りそうな内容を本にすることのリアリティは、どんどんなくなっている、と思う(雑誌以上、書籍未満の原稿量をパッケージにする電子書籍の動きがあるけれど、それはまた別の話として)。

ではそうしたパラダイムチェンジをどこでどうやって捉えるのか? ウイリアム・ギブソンの有名な言葉「The future is already here, it’s just unevenly distributed.」のとおり変化はすでに起こっている。それをつかまえることで今日的な「リアル」と切り結んだコンテンツとなるはずだし、そこから深い思索を導き出せれば、長いスパンのストック情報となっていくはずだ。

ではその「unevenly」に偏在する未来を最初に見られる場所はどこにあるのか? 例えばネット/デジタル社会やサイエンスの領域について言えば、やはりアメリカが真っ先に思い浮かぶだろう。

見方を変えると、ネットとグローバル化によって世界はよりフラット化しているように見えて(だからこそ)、リチャード・フロリダによれば、世界は今後ますます凸凹に分断されていくという(『クリエイティブ都市論』ダイヤモンド社)。その中で創造性の高い優秀な人材(クリエイティブ・クラス)が集中していく都市は「クリエイティブ・クラスター」と呼ばれるが、それは世界のどこなのかという問題だ。

◇一極集中

クリエイティブ・クラスとはアーティストやプログラマー、科学者、技術者、あるいは金融、法律の専門家などの知識労働者のことだとすると、その答えもまた、自ずと見えてくるだろう。例えば冒頭で挙げた注目のタイトルを執筆予定の某ラボの所長が日本人(と言えばお分かりだろう)でありながら英語で執筆することからも読み取れるように、ある分野のクリエイティブ・クラスはますます英語圏に集っている。ネットワークとコ・クリエーションが価値の源泉となる時代に、この流れはますます加速するだろう。

これは、ポピュラーサイエンスを例にとってもわかりやすい。このジャンルはやはり翻訳書が圧倒的に強い。それこそリチャード・ドーキンスやスティーブン・ホーキングにはじまって、『フェルマーの最終定理』のサイモン・シン、『エレガントな宇宙』のブライアン・グリーン、『パラレル・ワールド』のミチオ・カクに『ワープする宇宙』のリサ・ランドールなど、宇宙物理学、量子物理学、進化生物学、分子生物学、脳科学といった最先端の領域のタイトルが常に並ぶ。

つまり、未来が偏在する場所としてコンテンツ生成に適した場所であると同時に、クリエイティブ・クラスが集う(この2つはコインの表裏なわけだけれど)英語圏から、新しい知が現れてくるのは当然であり、だからこそ、翻訳書の出番があるのだと言える。実際に、翻訳書の編集者をしていて何よりも楽しく刺激的なのは、さまざまなタイトルを通してこうした偏在する未来を垣間見られたり、科学的に最新の知見に日常的にふれることができることだ(そのすべてを理解することはもちろんできないわけだけれど)。

ただ、翻訳書のある種の優位性を、こうした場や環境の問題に還元してしまうことは、もっと大切な論点を見過ごしてしまうことになる。たとえばクリエイティブ・クラスということでは、もちろん日本だって捨てたものじゃないはずだ。

先ごろアドビ システムズが発表した「クリエイティビティ」に関する意識調査(米、英、独、仏、日の5か国で実施)では、日本が世界でもっともクリエイティブな国だと見られていることが話題になった(ただしこれはあくまで意識調査として他国からそう「見える」というもので、明確な指標に基づくものではない。各回答を精査すると、逆の結果も見られる)。東京も世界で一番クリエイティブな都市、つまりクリエイティブ・クラスターとなっている。実際、ノーベル賞の数だって、胸を張っていいはずだ。

◇市場と読者

では日本においても最先端のコンテンツが次々と生成され、世界レベルでそれが受容されているかといえば、一概にそうだとは言えないだろう。何が違うのだろうか? もちろん冒頭に書いたような言語の問題は大きいだろう。つい先ごろも加藤典洋氏が「海の向こうで『現代日本文学』が亡びる あるいは、通じないことの力」と題して日本の現代小説が翻訳されなくなることの危機を書かれていたけれど(新潮2012年9月号)、当然ながらこれはフィクションに限ったことではない。

それに対して、例えば先の東浩紀氏が代表を務めるゲンロンでは、新刊の『思想地図β3』に一部英訳をつけるなど意欲的な試みをしていてぜひ応援したくなる。ただ、ここでは言語以外のファクターを考えてみたい。実はそれこそが、僕の中で「ベストセラーの法則」とも言うべきものでもある。つまり、ここでいう差とは、「知の在り方」の問題のように思えるのだ。

先ほどのポピュラーサイエンスのジャンルで特筆すべきなのは、現場の第一線で活躍する科学者が最先端の科学的知見を、専門書ではなく一般書としてマスマーケットの「一般読者」(ここが重要)に語るジャンルが確立しているということだろう。さらにはサイエンスライターの層の厚さもある。サイモン・シンもそうだが、専門的知見の一番おもしろい部分を一般読者向けに「翻訳」して書けるサイエンスライターが豊富にいる。それを支えるのは、300ページにのぼるポピュラーサイエンス本を楽しみに読む、リテラシーと知的好奇心の高い一般読者の分厚い層だ。

それと同じことは「ネット系の啓蒙書」にも言えるだろう。ネット社会やネットビジネスの現場の第一線で活躍する人々が、それを「一般読者」に向けて語ることができている。逆に言えば、ともするとビジネス書として消費されるクリス・アンダーソンの『ロングテール』や『フリー』を、社会論や国家論まで射程に入れた啓蒙書として読み取れるマスマーケットが存在し、そこが「売れ筋」にもなっている。

たんなるビジネスハウツーやセルフヘルプではなく、現実に目の前で目まぐるしく変わる社会やビジネスと人間の関係性を、オープンな知の体系の中で捉え直し、「偏在する未来」をしっかりと見出していく。そうした態度だけが、本当のアクチュアルで開かれた「知」を担保するのだと僕は思っている。そしてある種の海外のタイトルは、そうした態度で作られている。それを探すのが、僕の役目だ。

◇知の再編成

例えば僕が「なぜ日本で翻訳がでないのか」と思うタイトルにデビッド・ワインバーガーの『Too Big To Know』やケヴィン・ケリーの『What Technology Wants』がある。ともにデジタル/ネットワーク時代の人類の知と社会の変容や、人類とテクノロジーとの関係性について書かれた一冊だが、彼らは一般読者の目線で透徹した思考を紡いでいく稀有な書き手だと言ってもいいだろう。

デビッド・ワインバーガーはハーバード大学法科大学院バークマンセンターのフェローだが、同時にマーケティング・コンサルタントとして活躍している。ケヴィン・ケリーはホール・アース・カタログやWIRED誌の創刊に関わってきた孤高のThinkerだ。そういった多様な出自の著者が一般読者に語りかけ、その思想を受け止める懐の深い読者が一定のマスで存在する世界を僕はいつも羨ましく思う。

そろそろまとめよう。ある種のジャンルで翻訳書がアクチュアルな知の領域を担えるのは、それが書き手の専門性や場の優位性に閉じこもっているのでなく、「一般読者」に向けて知を解放する目線を持っているからだ。日本で「専門的な知を一般読者向けに」となると、これまでは、ブルーバックスや新書・選書のたぐいになるのだろう。それよりもっと読み応えのあるものとなると、ともすると言論サークルや学術サークルという内輪に入り込んでしまうきらいもあったかもしれない。

本稿で再三使ってきた「開かれた知」「オープンな知」とは、言うなればマスマーケットを狙える知のことだ。好奇心旺盛でリテラシーの高い「マス」の読者に投げられる知。それは決して知の価値を減じることではなく、知のエンゲージメントを上げることに他ならない。グーテンベルクの時代に、本のまわりに手紙のネットワークが生まれたように、マスマーケットで受容され、語られ、引用され、文脈付けがされることで、はじめて本当のグローバルな知のネットワークが出来上がるはずだ。

日本でも、知のオープン化はどんどん進んでいるのだと思うし、何より本誌αシノドスが牽引するような、最前線の知を生活に身近な場で展開していくような試みは、出版という制度の中でも外でもますます広がっている。出版の中の人間としては、最先端の著者を見つけ、そのコンテンツをマスマーケット向けに翻案する態度とスキルを磨きつつ、しっかりと読み応えのある分量でそれを読者に届け、知的好奇心を満足させるような、著者=編集者=読者の生態系を作るという意味で、まだまだできることがあるだろうと自戒を込めて思う。

一方で、もはやそんなことを言うこと自体が傲慢な過去の遺物だという可能性もある。デビッド・ワインバーガーの『Too Big To Know』で語られている通り、現在は知の再編成が起こっている。書物という完結したメディアに閉じ込められたものだけが「知」ではなく、ネットワークの関係性の中でオープンな知が立ち現れてくるのだとすれば、編集者が本というパッケージに入れるコンテンツの取捨選択をすることの意義は今後ますます小さくなっていくだろうし、生態系をつくることに関与できる余地も少なくなっていくのかもしれない。

固定化され、特権化されるメディアに根ざした知ではなく、オープンに公開され、シェアされ、コラボレーションによって自由にリミックスされ、常に発展する知のあり方は、とても刺激的なはずだ。それこそが、『フリー』『シェア』『パブリック』から見えてきた世界でもある。

ただしそれは、来るべき「ネットワーク的な知」に僕たちが参画できれば、の話だ。つまり、世界的な知のネットワークに。その時にまだ、もしかすると「翻訳書」的なものの未来形が生まれる余地があるのかもしれない、とも思っている。

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松島倫明(まつしま・みちあき)

書籍編集者/NHK出版 編集局学芸図書編集部チーフエディター/1972年東京生まれ/一橋大学社会学部卒/1999年から村上龍氏のメールマガジンJMMやその単行本化などを手がけ、2004年からは翻訳書の版権取得・編集に従事。ノンフィクションから小説までを幅広く手がけている。代表的な作品に『フリー』『シェア』『パブリック』『Think Simple』『国のない男』『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』『BORN TO RUN』など。今年10月にクリス・アンダーソンの最新作『MAKERS 21世紀の産業革命が始まる』を刊行予定。
Twitter:@matchan_jp
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西伊豆堂ヶ島 2days

夏からのびのびになっていた男二人の温泉旅行をついに決行。去年2月の大沢山温泉以来で、気の置けない友人Tと、なーんにも考えずに息抜き、魂の洗濯をするのが目的。初日は品川から踊子号で修善寺まで行き、バスで土肥まで一時間ほど揺られたところで昼食に地物のちらし寿司をいただく。堂ヶ島まで再びバスでのんびり移動。洞くつ巡りは高波のために運休で、加山雄三ミュージアムに未練を残すTを無視して、沢田公園露天風呂へ。ここは西伊豆でも随一の、断崖沿いの露天風呂。ゆっくり入ってそのまま太平洋に沈む夕日を拝む。絶景(写真はイメージです)。夜は潮さいの宿かごやでダラダラと飲み続けながら温泉三昧。翌日は堂ヶ島の遊覧船で天窓洞を拝む。これは本当に美しい。でのその後に行った宇久須の黄金崎の海の美しさには驚く。まるでコートダジュールのような海。なんでここで泳げないのだろう、ともったいなく思う。ここ宇久須の名物、小あじ鮨を三共食堂で。小振りでとても美味しく、金目鯛のみそ汁との相性が抜群だった。土肥まで戻ってここからフェリーで沼津へ。漁港で干物のお土産を買って、大型展望水門びゅうおを冷やかし、漁港前のパブ、タップルームへ。日本でパブはまだ珍しいのに、しかも沼津で、というのがかわっている。じつはTが昔取材で訪れたことがあるそうで、オーナーのベアードさんが自ら醸造した数多くのオリジナル・ビールが楽しめる。島国スタウトが最高で、3杯ほど楽しんだあと沼津駅に移って駅前で寿司を楽しみ、新幹線で帰京。食べて飲んでのんびりしただけの2日間。

Frankfurter Buchmesse 2008


 今年も海外出版業界にとって年に一度のお祭りであるフランクフルトがやってきた。最近でこそ、春のロンドンブックフェアの存在感が増しつつあるけれども、年に一度世界中から出版社が集まり、旧交を温め、情報を交換し、新しいbuzzを作り、売れそうなタイトルを狩猟し、ビジネスチャンスを創り出していく貴重な場であることは間違いない。昼間は30分単位のミーティングを1000本ノックのようにこなし、夜は連日、どこかの大手出版社が主宰するパーティに顔を出す、というハードでクレイジーな5日間だ。と言ってもそれは欧米出版社やエージェント業界中心の話なのだけれども。
 逆にフェアでは日本の人たちといろいろとキャッチアップできる貴重な機会でもある。初日は会場内で社長を案内している日経新聞出版のKさんを、お昼には会場内のインド料理屋でヴィレッジブックスのKさんとOに遭遇。午後、一人でMTGの合間にスタンドでコーヒーを飲んでいるとEエージェンシーのSさんとバッタリ。「Knopfに数百マイル走り続けられる民族についての面白いタイトルがありますよ」と言い残して足早に消えていく。夕方そのEエージェンシーのブースに立ち寄ったところでランダムハウス講談社のS氏、イースト・プレスのK氏、東京化学同人のT氏と名刺交換。ソフトバンクのKさん達もいて、TエージェンシーのTさんと一緒に夕飯でもと誘われるも、その晩はもともと約束していたEエージェンシーのYさんと会場近くの韓国料理屋へ。シラクの自伝やアマルティヤ・センの新作のネタなどを仕込む。
 翌日はお昼にスタンドで寿司のランチボックスを買って食べた後で、ライツセンター近くでOエージェンシーのマリオさんと遭遇。ロンドンのエージェントで仕入れたタイトルの詳細を聞いたりしているうちに、マリオさんの昼飯のために昨日のインド料理屋へ(マリオさん曰く会場内でここが一番うまい)。一緒にビールを飲みながらマリオさんのアムス滞在話なども。夜はYエージェンシーのSさんと旧オペラ座近くのイタリアンGaribaldiで夕食。ホテルに戻ると1階のバー・レストランで角川書店のSさんやOエージェンシーのHさん達が飲んでいる。ちなみに今回のホテルは25hours Hotelというリーヴァイスが経営するとってもおしゃれなデザイナーズ系ホテルで、今年オープンしたばかりで新しいためか、フェア直前で他がどこも埋まってしまっていた後でも僕らはブッキングできたのだけれど、角川さんはかなり事前からねらい打ちで予約したのだとか。さすがです。ただし、朝ホテルを出るとまわりの道ばたには血の付いた注射針が散乱しているのだけど。
 3日目は最初のミーティングが朝9時で、かつ体調を壊して最悪の滑り出し。日経のKさん達と再び会って談笑するも、熱が出てきてミーティング中も脂汗が。TエージェンシーのM社長たちと遭遇、「×××の次作が出ますよ」との情報が。けっきょく編集長が心配して帰らせてくれたので、最後の2つのミーティングをキャンセルしてホテルに戻る。朝から食欲がなく何も食べていなかったのだけれど、さすがにまずいと思って温かいポテトスープを食べ夕方からベッドに入るも悪寒と発汗が交互にやってきて汗びっしょりになって唸りながら熱を格闘。マリオさんから「薬をホテルに持って行きましょうか」とメールが入るも、とにかく一晩寝れば治るだろうとお心遣いだけ感涙しながらいただく。目が覚めたり眠ったりを繰り返したものの、明け方には熱が抜けてきたのが自覚できた。編集長は夜に日経のKさん達と寿司を食べにいって、その後ソフトバンクのKさんやTエージェンシーのNさんと合流したらしい。
 4日目、熱は下がったものの万全とは言えない体調のため自省して仕事に専念。あいかわらず食欲がないので昼は温かいトマトスープのみ。昨日、編集長が日経のKさんからもらってきてくれた風邪薬を飲む。W.W.Nortonのミーティングで文藝春秋のSさんと、FreePressのミーティングで河出書房のMさんとご一緒する。この日は午後早く終わったのでホテルに戻ってまとめ作業。夜に編集長に繁華街のデパ地下にあるうどん屋さんに連れて行ってもらい、お腹にやさしい食事。ホテルに戻ってまとめ作業を夜12時まで。今週はスヌーカーのグランプリがずっとユーロスポーツで中継されていてポツポツ観ていて、明日がヒギンスとデイの決勝なのだけれど観られないのが残念。

 最終日、エージェントセンターは嘘みたいに閑散としてる。昨日で帰るライツ担当者が圧倒的らしい。そういえばエージェントのTさんはロンドンの後にパリに寄って遊んでからフランクフルト入りしたのに、今日から今度はベルリンに行って遊んでから日本に帰るらしい。そのバイタリティに憧れる。お昼過ぎには全日程を終え、編集長と二人で市内に出てランチ。初めてちゃんとソーセージを食べる。早めに空港へ行ってラウンジでのんびりしてから帰国の途へ。僕の36歳の誕生日の夜はこうしていつのまにか空の上で蒸発する。

London 9days

10/6
夕方ヒースロー着。JALのプレミア・エコノミーは、その名前の曖昧さにかかわらず快適だった。機内で『マジック・アワー』『長い長い殺人』『SEX AND THE CITY』を見る。今回のホテルは Queensway駅近くでHyde Parkの目の前。部屋からは一面の木々が眼下に広がり、カーテンを閉める必要がない気持ちのいい環境。近くのパブで夕食。London Prideを飲んでロンドンに戻ってきたと実感。

10/7
世界同時株安のニュース。ロンドン・マーケットも凄まじい下がり方。朝ハイドパークを散歩。池の周りの白鳥や大小の鳥がまったく人間を怖がらずに至近まで近寄れることに感動。狐とリスも見る。午前中はHolbornとRussell SquareでMTG2件。美味しい匂いに誘われて近くのインド料理でランチをして、午後はHammersmithとWestbourne ParkでさらにMTG2件。夜はマリオさんらとCovent Gardenで落ち合い近くのベルギー料理BELGOへ。ムール貝とシメイに舌鼓。

10/8
イギリス政府は500億ポンドを8つの銀行へ資本注入することを決定。それでも株価は下がっている。ニュースで見る限り、10%近い日経の下落率が最も大きいようにも見える。午前中にSouth KensingtonでMTG。ランチは近くのミシュラン・ハウスの一階にあるBidendumのオイスター・バー。腹ごなしがてら30分ほど歩いてHyde Parkを縦断しホテルへ一端戻る。夕方Tate Modernへ。Mark ROTHKOの特別展をやっていてこれが素晴らしすぎる。宗教がそこから生まれそうなほどの圧倒的な作品の存在感に震撼する。夜はLondon BridgeエリアのHorniman at Haysというパブで10代からの友人Nと待ち合わせ。シティのビル群やタワーブリッジを眺めながら川沿いに座り込み日没後のブルーの空を眺めながら話は尽きない。その後 Borough Marketでもう一軒パブThe George Innをハシゴしてから1時間待たされたタパス・レストランTapas Brindisaで遅いディナー。大盛況でとっても美味。

10/9
今日も美しい朝焼けとともに起床。快晴。午前中、ボンドストリートで不思議なインド人に声を掛けられる。まず彼が何やらメモを書いた紙片を丸めて自分の拳で握らされる。それから彼に好きな数字や年齢、兄弟の数などを訊かれ、新しい紙片にそれをメモしていく。最後に自分の拳を開いて紙片を広げると、同じことがすべてそこに既に書かれているのだ……。あれはどういうトリックなのか、誰か教えて下さい。午後はピカデリー近くでMTGをこなしていく。途中でLeicester Squeare近くの古書店街を狩猟。夜はSouth KensingtonのポッシュなイタリアンLUCIOでディナー。前菜に猪のハム、メインにヴィールをいただく。クオリティ高いです。

10/10
日経平均の暴落をニュースが伝えている。相変わらず金融危機一色。午前中はPimlicoでMTGを一時間半。Sohoに出てRamen Taroでランチ。午後はNotting Hill Gateで地下鉄を降りてPortobelloのマーケット街とNotting Hillをブラブラと散歩。夜は前回泊まったThe Cavendish HotelでCの両親と待ち合わせ、リッツホテル近くのレストランBalls Brothersでディナー。Roast Partridge(ヤマウズラ)をいただく。

10/11
待ちに待った週末。お昼に起き出してホテル前の Hyde Parkで読書。その後NとSt. John’s Woodで待ち合わせ、ビートルズで有名なAbbey Roadの交差点を渡ってからPrimrose Hillへ。ポッシュな街並みを楽しみながら公園の丘へ上がるとそこからはロンドンのすべてが眼下に一望できた。Peaceful過ぎる日だまりの午後。夕刻までのんびり芝生の上で話し込み、夕方にComden Rock Marketへと繰り出す。Thang Long Vietnameseのベトナム料理でお腹に優しいディナー。レストラン入り口には若かりしころのオーナーママとミック・ジャガーのツーショット写真が飾られている。近くのパブ The Lock Tavern は入り口で入場制限している混雑ぶりなのにNのウィンクでするりと入り込める。中庭でピースフルにギネスを喰らう。そこからさらにもう一軒、The Pembroke Castleで運命のエール、Bombardierを発見。これは濃くて美味い。深夜にけっきょくFinchiey Road駅近くのNのフラットに上がり込み、ワイン片手に朝5時ちかくまで飲んでホテルへ戻る。

10/12
二日酔いで午前中はダウン。しかし天気はすこぶる美しく、気温も20度を超えて(ロンドンにとっては)夏のような一日だ。午後になってNと連絡を取り合い Hampstead に繰りだそうと思ったら、Jubiliee Lineがストップ。予定を変更してBaker Streetで落ち合い、Maryhlebone High St.の小粋なパブでサンデー・ローストの遅いランチ。Regent’s Parkから運河沿いを歩いてLittle Veniceへ。気持ちの良い陽射しの中で行き交うボートを眺めながら、運河沿いのパブでビールをひたすらダラダラと飲み続ける。22時を過ぎて、近くのムスリム街に行ってみようということで歩いてEdgware Roadへ。大通りの両側一面に中東系のお店がズラーと並んでいる。もちろん観光客もイギリス人もみかけずひたすらムスリム系だけで、ここは中東の都市かと見まがうほど。テイクアウトのシュワルマを頬張りながら歩いてホテルまで。一日がかりの大散歩。すっかりお世話になったNと別れを告げる。

10/13
ついに神通力が潰えたのか、今日は晴れ間が覗くも一週間ぶりにロンドンらしい曇り空。すっかり外出する気をなくして、というわけではないけれど、溜まっていたMTGのまとめ作業に没頭して一日部屋にこもる。気がついたら19時過ぎで、夕食をとろうとホテル近くのQueens Way駅からBayswater駅の間にブラッと繰り出してみると、中華系と中東系のレストランが入り乱れてしのぎを削る異様なエリアであることに初めて気がつく。高級そうなところからカジュアルなところまで、そしてどのレストランも地元の人や若者でいっぱいだ。ボスがここを定宿にしていた理由がなんとなく分かった気がする。一人飯が出来そうなところを物色してタイレストランで辛い米麺を食べる。初日に夕飯を食べたホテル近くのパブでロンドン・プライドを一杯飲んで、最後の晩餐は終了。ホテルでニュースを見ると、世界中の株価が軒並み急騰している。不思議な一週間だった。

10/14
朝からパッキング作業。時間が余ったのでHyde Parkにブラっと散歩に出る。池のベンチに座って、白鳥や大小いろいろな鳥を眺める。彼らは人間をまったく怖がらないし、かといって餌をもっていそうな人間を襲うようなこともない。とてもいい距離感なのだ。週末Nからシャワーのように聞いたロンドンとイギリスのことをいろいろと考える。イギリス人であることと日本人であること、イギリスにいる日本人、東京にいるイギリス人。とてもベーシックなことなのだけれど、みんながどう折り合いを付けているのか、いまだに僕には分からないところがある。居心地が悪いというか、定まらない根無し草の感覚になる。お昼にPaddington駅からヒースロー空港へ。チェックインカウンターでアイスランド帰りの編集長と再会して一安心。これからフランクフルトへ。街としてはロンドンの100分の1も魅力的ではないけれど、仕事はこれからが本番だ。

母なる大地のおっぱい

小林紀晴さんにお誘いいただき八ヶ岳に山登りへ。一度ぜひ行ってみたかったので、夏休み明け一日出社して翌日また休むことになるけれども二つ返事でGO。朝7時新宿発のスーパーあずさに乗り込みいざ出発、と思ったら信号機の故障だとかでいつまでたっても徐行と停止の繰り返し。実は前日夜に飲み過ぎたこともあって若干二日酔いの体を休めるべく就寝。で、一時間半後に目を覚ますといまだにスーパーあずさは吉祥寺駅にいる(!)。隣では紀晴さんが山の地図を出して行程表とにらめっこして一言。「これ、まずいかもしれないですね」。日没の時間までに回りきることを考えると、そろそろ茅野駅に着かなければいけない時間。当初のルートを変更して若干短めのものにするも、紀晴さんは何度も時間計算をしている。「ギリギリですね、どうしましょっか?」そう言われても、スーパーあずさに閉じこめられてどうしようもないし、せっかく山登りの格好をして来たのにこれで温泉入って帰るだけではせつない。何しろ生涯二度目の山登りで、前回のクレイジーな富士山登頂のリベンジの意味でも、優雅で感動的な山登りを期待していた僕はなんとしても山に登りたい。「ま、行ってみましょう」ということで茅野駅についたのが11時前。そこからタクシーで天狗岳への登山口である唐沢鉱泉へ着いたのが11時半。登り始める時間としては、申し分ないぐらいに遅い。
でも登り始めると生い茂る樹木と足下を覆う苔の美しさに目を奪われる。こんな綺麗なところが日本にはあったのか!と世間知らずの僕は素直に感動。登りはきつくてすぐに汗びっしょりで息も上がってしまったけれど、とにかくこの美しい自然の中を歩いていることに感動して背中を押される感じ。真夜中に岩だらけの富士山を歩くのとはオリンピックとクラブ活動ぐらい違う(もちろん富士山のほうが大きくはあるのだけれど)。途中の山小屋で昼食。紀晴さんがココアを作ってくれて暖まる。再び行程表の再検討。やはり時間的には結構きびしいらしい。ここまで登ってきた道を思い返しても、日没して暗くなったら絶対に歩けそうにない。「やっぱり頂上まで登りたいですか?」と聞かれ、しばし頭の中で考えるも、僕のまっさらな経験の中では「登山=登頂」なので、頂上に辿り着かない登山はオーガズムがないセックスぐらいに魅力がない。「やっぱり頂上までは行きたいです」と答え、強行軍モード決定。お昼を20分程度で切り上げると(本来なら一時間は取れたはず)、そのまま登山続行。しばらくすると、眼前に天狗岳のツイン・ピークス、西天狗岳と東天狗岳が見えてくる。まるでおっぱいのような二つの頂に改めて気力を奮い起こす。その頃には樹林が終わってハイマツや低い高山植物の間に岩がゴロゴロとしてくる。岩をはい上がるように登ると、その母なる大地のおっぱいの上からは南北の八ヶ岳の峰々がご褒美のように広大に広がっていた。
紀晴さんは終始カメラをいろいろなものに向けていて、その被写体の見つけ方を間近で見られるのも面白かった。光と形を追っている感じ。休みもそこそこに二つの頂を制覇し、太陽を追いかけるように下山。前回同様、下りのほうが僕の脚にはきつくてやはり膝を痛めるも、なんとか予定時刻の17時半に唐沢鉱泉に到着する。6時間、ほとんど歩き続けていたわけだ。唐沢鉱泉は日本秘湯を守る会に名を連ねる名湯で、疲れ切った体を横たえる瞬間は至極の体験だった。苦しみと快楽という山登りのエッセンスを味わった一日。またぜひ行きたい。

京都の五山送り火

週末に一泊二日で京都へ。拡大シングルチームで総勢6人、五山送り火を眺めながら鴨川沿いの川床で鱧料理に舌鼓を打つ、という趣向。夏の京都はたぶん初めてで、とにかく暑い。京都駅から三十三間堂を巡るまではまだよかったけれど、お昼に親子丼で有名な八坂神社近くの下河原町のひさごで30分近く外に並ばされてかなりへばる。でも親子丼は評判通りやわらかくて美味。山椒が利いて箸が進む。
祇園のホテルにチェックインしてから浴衣を持って二条城近くの着付けのお店へ。女子チームは帯もあるから当然だけれど、男の浴衣も侮るなかれ。着付けしてもらうとやっぱりピシッと決まるのだ。ここから浴衣姿でみんなで八坂神社から清水寺まで賑やかな通りを練り歩く。CとMは途中で扇子を購入。
夜はお目当ての先斗町魯ビンへ。築150年の元町家だけあって、風情たっぷり。Jの友人達30名近くとここで合流、というか僕たちが混ぜてもらう形で川床を貸し切り。モエで乾杯して、京野菜や鱧のしゃぶしゃぶ、白焼と料理を楽しむ。送り火は20時スタートで、川の向こう、ビルの間に見える大文字山から「大」の字が幻想的に浮き上がってくる。先入観でなんとなく花火大会のように1〜2時間続くのかと思っていたけれど、実際は30分ほど、この大文字山の「大」から始まって妙法山の「妙法」、船山の「舟の形」、左大文字山の「左大文字」、曼荼羅山の「鳥居の形」と東から西の順に死者の魂をあの世へと送っていく。五山全てを見られる場所は「京都人でも知らない」らしく、それは最後の鳥居の火が、少し離れているからだそうだ。
そんな一瞬の送り火に合わせたのか、魯ビンのコースは次から次へと出てきて2時間後にはお開き、近くのバーへと全員で移動、そこから夜半まで、狂乱の宴会が続いていく。京都はメキシコに次いで二番目にテキーラの消費量が多い土地だという、嘘だかホントだかわからない話をされながら、ショットグラスで乾杯。最後にやはり京都の定番だというカレーうどんで締めて2時過ぎに解散。
翌日はチェックアウトぎりぎりに二日酔いの頭を抱えながら宿を後にし、俵屋が経営するという御幸町三条の天麩羅懐石のお店、点邑でランチ。広い3階の個室で天麩羅丼コースに舌鼓。サービスも申し分なし。そのまま錦市場をブラブラしてお土産を物色し(Jが買っていたこんぶ玉が美味しそうだった。酒の肴に最高らしい)、夕方には帰京。初めての夏の京都(Cは2年弱で3度目だ)はまた違った楽しみ方ができた。

NY 6days

 LA──朝5時に起きてホテルをチェックアウト。レンタカーのリターンとその前の給油にどれだけ手間取るかが読めなかったのと、国内線でも2時間前(特にNY行きだと)チェックインがいいという話で、思いの外早起きになってしまう。それでも5時間のフライトと時差で、NYに着くのはもう夕方。丸々一日移動に費やす羽目になる。今回は便がうまくとれずれにNJのニューアーク空港からイン。タクシー代が高い。
 今回のホテルはThe Algonquin Hotel。ミッドタウンで1902年にオープンしたクラシックホテル。戦前はさまざまな文化人が集い、ヒストリックトラベラーマガジンの「America’s Ten Great Historic Hotels」にも選ばれているらしい。ホテルのトレードマークである猫のマチルダは、何代目かは分からないけれども未だ健在。宿泊客に愛嬌を振りまいている。取り敢えずチェックインして、周りのタイムズスクエアからブライアント・パークまで散歩して土地勘を取り戻す。近くのデリで軽い食事とビールを買ってホテルに戻り、空港で買ったマキューアンの『ATONEMENT』の続きを読みながら就寝。

 翌火曜日は完全なオフ。日本を発ってから初めてゆっくり9時まで寝てからジムへ行って汗を流し、ランチはAとMOMA併設のレストランTHE MODERNへ。“28 Day Dry-Aged Ribeye”とロングアイランドのメルローを美味しくいただく。Aとは2年ぶり。昔のことではなく、今のことやこれからのことを話していることに後になって気がつく。それはとても嬉しいことだ。Aが仕事に戻った後、MOMAのショップでお土産をいくつか買って、写真集を物色していたらあっという間に夕方。5番街を上ってティファニーでCへのお土産を買い(お土産というのは罪滅ぼしのために買うのだと改めて痛感。ついつい財布の紐もゆるくなる)、いったんホテルに戻って今日到着したボスと近くのBarnes & Nobleで合流。新刊やお薦め本を次々と手にとって話しながら軽く1時間は過ごせるのは職業病の成せる業か。夜はホテルのバーで二人で軽い食事をとって早々に部屋に戻る。Aから電話がある。

 水曜日。7時起床でジムに行ってからゆっくり朝食をとり(ホテルでとったら朝から30ドル近くかかった)、ランダムハウスのオフィスへ。お昼にユニオンスクエアのあたりでボスと合流してデリでお昼を食べ(レインボーロールという、ツナとエビとサーモンが交互に入った巻物)、近くでMTGを2件一緒にこなした後、また別れて僕はランダムハウスのオフィスに戻る。最後のMTGはライツリストがなくしかもとっても分かりにくい英語で苦戦する。一日の仕事が終わった後はアッパーウエストのZABARSへ。“アッパー住民御用達のスーパー”というふれ込みで、同僚からお土産指令が下っていたのでハウスブランドのお土産品を買い込む。ホテルに戻ってバーでビールを飲んだあと、ボスと合流してイーストの炙り屋錦之介へ。2年前に連れて行ってもらった場所。ちょうど和食が恋しいころだったのだ。こうして後で調べてみたら、神楽坂に住んでいたころによくローカルで使っていた飲み屋の系列と知ってちょっと感慨深くもあり。やっぱり和食を食べればご機嫌なわけで。9時過ぎにホテルに戻る。Aから電話がある。

 木曜日。今日は走らず朝食はホテルの隣のダイナー($10)。朝はミッドタウン、お昼にグリニッジヴィレッジでいったんボスと合流して午後はマジソンスクエアからまたミッドタウンへとMTGをこなしていく。朝から体調が悪く、熱っぽい。お昼を食べる暇がなかったのだけれど、さすがにお腹がへって夕方ホテル近くのピザ屋で一切れ食べて、Barnes & Nobleでセール品になっていたジョン・アーヴィングの『Until I Find You』のハードカバーをゲットし(日本で文庫本揃えるより圧倒的に安いだろう)、あとはホテルのベッドで7月刊のゲラ読み。8時過ぎにはそのまま電気をつけっぱなしで寝ていた。

 金曜日。お昼過ぎにMTG終了。これで全日程が終わってホッと一息。ボスとホテルで待ち合わせて近くのレストランへ。これでもか、というほど大きなポーションのスペアリブを食べる。International Center of Photographyで展示を見て夕方まで時間を過ごし、近くのブライアント・パークへふらっと行く。ホテルからどれも2ブロックずつしか離れていない。ベンチに座って夕方でもまだ明るく気持ちのいい陽射しを感じながら一服する。今月刊行する小林紀晴さんの小説『十七歳』の冒頭がこのブライアント・パークから始まることの意味が、今回NYに来てやっと分かった。四方を高いビルに囲まれたこの公園は盆地のメタファーになっているし、それにInternational Center of Photographyが目と鼻の先にあるのだ。諏訪の盆地で高校時代を過ごし、今はNYにいる写真家としてなんとぴったりな風景なのだろう。僕は紀晴さんとはまったく違う高校時代を過ごしていたのだけれど、偶然にも十七歳とNYという符丁は僕の中でも大きな意味を持っていて、小説『十七歳』と同じように、この公園での偶然の再会から高校時代の思い出の深みへと遡行していきそうな心地よい予感に身を委ねる。本当は夜にボスとそのお友達のディナーに誘われていたのだけれど、どうにもお昼のリブでお腹が満腹のままで、さらに体調がやはり優れないのでパス。夕食は抜きで(アメリカに来るとよくあることだけれど)、ホテルでゆっくりとNY最後の夜を過ごす。