カテゴリー : trans-lation

翻訳書の現在〜マスマーケットと開かれた知:アルファ・シノドス “α-synodos” vol.106+107

ご縁があってsynodosのメールマガジン「アルファ・シノドス “α-synodos” vol.106+107」に寄稿しました。有料のメルマガですが、次号発行以降なら転載可ということでもともと許可をいただいていて、この週末にデジタルガレージさん主宰の The New Context Conference 2012 TokyoでJoiさんのお話を聞いていてふと思い出したので転載します。とにかくいただいたお題が難しく、議論がやや散漫で晒すのは恥ずかしくもあるのですが、これが今の自分の力量と諦めて、ちゃんと残しておこうと。荻上チキさん、編集の河村信さん、本当にお世話になりました。

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synodos mail magazine

知性を高める情報メルマガ
アルファ・シノドス
“α-synodos”

vol.106+107(2012/8/25)

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★今号のトピックス

1.政治の競合モードを再考する
………………………吉田徹

2.早野龍五氏ロング・インタビュー2(聞き手:荻上チキ)
――原発事故後、なぜ早野氏は「黙らなかった」のか

3.対談/熊谷晋一郎×荻上チキ
誰のための「障害者総合支援法」

4.不充分な教育の代償
………………………畠山勝太

5. 対談/川口有美子×荻上チキ
「尊厳死」〜生と死をめぐる自己選択

6. インタビュー/ホンマタカシ(聞き手:永井雅也)
撮ることそれ自体――もう一つの見方

7. 翻訳書の現在 〜マスマーケットと開かれた知
………………………松島倫明

8. インタビュー/樽本周馬
国書刊行会《未来の出版、未知の編集》

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chapter 7
松島倫明
翻訳書の現在 〜マスマーケットと開かれた知

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思想書や難しい本は売れないというのは本当だろうか?
ネット時代の基本思想書3部作『フリー』『シェア』『パブリック』
の編集者による来るべき時代の、市場と知の新しい関係
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◇版権取得

今日もひとつ、ビッグタイトルをオークションで逃した。アメリカの超有名大学の某ラボの所長が描く、イノベーションを起こす21世紀型組織の作り方、といったテーマで、内容構成のプロポーザル(原稿はまだ1文字も執筆されていない)を読む限り、resilience、agile、pullといったキーワードとともにこれからの価値観とクリエイティビティの変容を捉えた刺激的な提言が詰まっていた。2年後に刊行予定のこのタイトルへの注目は当然のことながら世界的に高く、日本でも各出版社が翻訳権のオークションに参加し、高額ビッドの末にどこかの出版社へ落札されていった。

こうしたビッドによる版権取得は翻訳書出版においては日常の光景で、編集者にとってはタイトルの狩猟とともに、オークションを勝ち抜くべく社内を説得し賭け金を確保することも大事な仕事のひとつとなる。マスマーケットを狙って誰もが「勝負できるタイトル」だと思えば当然ビッドも白熱し、最後は各出版社の読みと体力勝負になっていく。今回がまさにこのケースだったわけだ。

翻訳書の出版において、もっともユニークかつ重要なのが、この「版権取得」だと言える。版権取得編集者という専門職をおく出版社もあるほどだ。毎日のように国内外のエージェントや海外の出版社から新しいタイトルの紹介がPDF添付のメールで送られてくるし、年に数回は海外のブックフェアに行って、向こうの権利者と次々とミーティングを交わして大量のタイトルを狩猟する。

それらはたいてい、本国でもまだ刊行前のもので、原稿段階で検討することもあれば、冒頭のようにまだ企画段階のプロポーザルが検討用資料ということもある。それだけをもとに「買い」を判断し、時には10万ドル以上のアドバンス(印税前払い)を提示していくのだ。

主に英語圏のタイトルの千本ノックを受けていて日々思うのは、その圧倒的な質と量だ。日本は世界でもっとも海外の書籍を翻訳して出版している国だと聞いたことがあるけれど、膨大な数の海外タイトルを日々検討して取捨選択してビッドしている現場から見れば、日本で実際に翻訳され出版されているタイトルなんて、ほんの上澄みに過ぎない。

そのことは編集者としてもったいなく思うわけだけれど、同じように「もったいない」と思うのは、せっかくこうしたセレクションを経て刊行された翻訳書でも、日本のマーケットで正当に認知されないまま書物の海に埋もれてしまうことがままあることだ(いわゆる「なんでこの本、日本では売れてないの!?」というやつだ。その先には「なんでこの本、日本では刊行されてないの!?」というバージョンもある……)。

◇一方通行

もちろん理由はたくさんあるだろう。ただそのひとつには、日本国内の言論の生態系なり知の体系が、海外と接続していないことが挙げられるはずだ。膨大な情報を受容はしているし翻訳もしているけれど、こちらからのアウトプットを輸出する機会が殆どない。有り体に言えば一方通行だ(それが辺境としての日本という国の成り立ちだとも言えるかもしれないが、ここでは深入りしない)。

『知はいかにして「再発明」されたか』(イアン・F・マクニーリー/ライザ・ウルヴァートン著、日経BP社)の中で、「グーテンベルク時代の始まりには、本よりもそれについて交わされる手紙による知的議論により権威があった」というくだりがある。本を文脈として位置づける相互のオープンな接続がなされることで、知識のネットワークが生まれ、海外の本も国内の文脈の中に有機的に結びつけることができたのだろう(それは現在のネット時代の知のメタファーにもなっている)。

その後、こうした知のネットワークは専門の分化と専門家の登場によって崩れ、新たにアカデミズム的な知の制度が誕生することになる。おそらく翻訳書の世界でも、制度化され閉じられた学術出版の世界では、相互参照システムがボーダーレスに働いているだろう。
だが、オープンな知の生態系、それこそ本誌シノドスが標榜するようなアクチュアルな領域では、アプリオリに文脈が整備されていることはなく、常にアクロバティックな知の再構築がなされなくてはならない。そして、オープンな知の生態系においては学術書よりもマスマーケットを狙った一般書にこそ、多様で開かれた本来の「知」が立ち現れるはずだ。そう思うのは、まさに翻訳書においてもっともアクチュアルで面白く、層が厚いのがこの領域だからでもある。

例えば僕が版権を取得した本で言えば、デジタル時代の新たな無料経済の可能性について書かれた『フリー』(NHK出版)がある。著者はデジタル/テクノロジー/サイエンス/カルチャーがクロスする領域を扱うWIRED誌の編集長クリス・アンダーソン。本書は「デジタル」「ビジネス」「マネー」といったジャンル分けも可能だけれど、その根底にあるのは「テクノロジーによって社会の大きなパラダイムチェンジが起こりつつある中で、次の時代を生きていくための思想」だ。

その後に続けて刊行した『シェア』(レイチェル・ボツマン他)や『パブリック』(ジェフ・ジャービス)も同様で、デジタルとインターネットの世界にもともと深くインストールされた原理が、社会を動かす下部構造となった現状を切り取っている。

『フリー』『シェア』『パブリック』が書店で並べられているのは「ビジネス書」のコーナーだろう。それでも「ネット時代の基本思想書3部作」と巷で呼ばれているように、この3冊が並ぶことで、西海岸的な楽観的テクノユートピア主義とリバタリアニズムを背景にした大きな潮流の中での、デジタルな国家・社会・経済・文化論のテキストとなっていることが読み取れるはずだ。つまりマスマーケットに向けて書かれたビジネス本の中にも、アクチュアルな知の領域を読み込むことができる。

◇ネット時代の基本思想書

そのことを的確に理解している一人が批評家の東浩紀氏で、3年前に『フリー』に寄せた書評では、「多くのネット関連の啓蒙書が、そのような観点から見ると新しい国家論や社会論に見えてきます。社会思想の専門家が人文書だけ読めばいい時代は、終わり始めています」(週刊朝日 2009.12.1)と結んでいる。そしてこの「ネット関連の啓蒙書」は、日本においては翻訳書がもっとも得意とする領域のひとつなのだ。

脱線になるが、東氏の同じ書評を今回読み返してみて以下の1文に目がとまった。「アンダーソンがこの新著で『フリー』をキーワードに描き出した問題、それは古い社会思想の言葉で言えば『公共性』の問題にほかなりません」。これは『フリー』から『シェア』、そして『パブリック』へと、各テーマが内包する問題意識をさらに掘り下げていった結果つながっていった一連の流れを、驚くほど正確に予言している。

面白いのは、この3冊はアメリカではまったくバラバラに刊行されたものだということだ。先ほど、翻訳書は文脈を剥がされて刊行されると書いたけれど、これらはそれを逆手にとって、まさに「3部作」という文脈を作り上げて日本で刊行したものだった。翻訳書の編集者がある種のキュレーターでもあるのはこういった意味においてであり、後に『フリー』のクリス・アンダーソンと『シェア』のレイチェル・ボッツマンは、ロンドンで行われたWIRED Conference 2011で共演しているので、この「キュレーション」自体がまた、必然にして予言的でもあった。

◇変化はすでに起こっている

さて、話を戻して、新しい知のネットワークの中でマスマーケットを狙った翻訳書(例えば『フリー』は18万部のベストセラーとなった)がどうして面白いのかをもう少し考えてみよう。もちろんいろいろな視点があるはずだ。でも版権取得編集者としてまずは、コンテンツが生成する場、それもクリエイティブなコンテンツが生成する場を考えてみたい。

版権取得において僕がいつも心がけているのは、今後5年、10年の社会、文化、経済のパラダイムチェンジを描き出すような、長いパースペクティブをもったタイトルを見つけることだ。その理由は「本」というメディアの特性にもある。これだけリアルタイムのフロー情報が行き交い、情報の量もチャネルも爆発的に増えた現代において、本は情報の「ストック」としての機能を期待されている。

突発的な時事問題や雑誌の特集記事で事足りそうな内容を本にすることのリアリティは、どんどんなくなっている、と思う(雑誌以上、書籍未満の原稿量をパッケージにする電子書籍の動きがあるけれど、それはまた別の話として)。

ではそうしたパラダイムチェンジをどこでどうやって捉えるのか? ウイリアム・ギブソンの有名な言葉「The future is already here, it’s just unevenly distributed.」のとおり変化はすでに起こっている。それをつかまえることで今日的な「リアル」と切り結んだコンテンツとなるはずだし、そこから深い思索を導き出せれば、長いスパンのストック情報となっていくはずだ。

ではその「unevenly」に偏在する未来を最初に見られる場所はどこにあるのか? 例えばネット/デジタル社会やサイエンスの領域について言えば、やはりアメリカが真っ先に思い浮かぶだろう。

見方を変えると、ネットとグローバル化によって世界はよりフラット化しているように見えて(だからこそ)、リチャード・フロリダによれば、世界は今後ますます凸凹に分断されていくという(『クリエイティブ都市論』ダイヤモンド社)。その中で創造性の高い優秀な人材(クリエイティブ・クラス)が集中していく都市は「クリエイティブ・クラスター」と呼ばれるが、それは世界のどこなのかという問題だ。

◇一極集中

クリエイティブ・クラスとはアーティストやプログラマー、科学者、技術者、あるいは金融、法律の専門家などの知識労働者のことだとすると、その答えもまた、自ずと見えてくるだろう。例えば冒頭で挙げた注目のタイトルを執筆予定の某ラボの所長が日本人(と言えばお分かりだろう)でありながら英語で執筆することからも読み取れるように、ある分野のクリエイティブ・クラスはますます英語圏に集っている。ネットワークとコ・クリエーションが価値の源泉となる時代に、この流れはますます加速するだろう。

これは、ポピュラーサイエンスを例にとってもわかりやすい。このジャンルはやはり翻訳書が圧倒的に強い。それこそリチャード・ドーキンスやスティーブン・ホーキングにはじまって、『フェルマーの最終定理』のサイモン・シン、『エレガントな宇宙』のブライアン・グリーン、『パラレル・ワールド』のミチオ・カクに『ワープする宇宙』のリサ・ランドールなど、宇宙物理学、量子物理学、進化生物学、分子生物学、脳科学といった最先端の領域のタイトルが常に並ぶ。

つまり、未来が偏在する場所としてコンテンツ生成に適した場所であると同時に、クリエイティブ・クラスが集う(この2つはコインの表裏なわけだけれど)英語圏から、新しい知が現れてくるのは当然であり、だからこそ、翻訳書の出番があるのだと言える。実際に、翻訳書の編集者をしていて何よりも楽しく刺激的なのは、さまざまなタイトルを通してこうした偏在する未来を垣間見られたり、科学的に最新の知見に日常的にふれることができることだ(そのすべてを理解することはもちろんできないわけだけれど)。

ただ、翻訳書のある種の優位性を、こうした場や環境の問題に還元してしまうことは、もっと大切な論点を見過ごしてしまうことになる。たとえばクリエイティブ・クラスということでは、もちろん日本だって捨てたものじゃないはずだ。

先ごろアドビ システムズが発表した「クリエイティビティ」に関する意識調査(米、英、独、仏、日の5か国で実施)では、日本が世界でもっともクリエイティブな国だと見られていることが話題になった(ただしこれはあくまで意識調査として他国からそう「見える」というもので、明確な指標に基づくものではない。各回答を精査すると、逆の結果も見られる)。東京も世界で一番クリエイティブな都市、つまりクリエイティブ・クラスターとなっている。実際、ノーベル賞の数だって、胸を張っていいはずだ。

◇市場と読者

では日本においても最先端のコンテンツが次々と生成され、世界レベルでそれが受容されているかといえば、一概にそうだとは言えないだろう。何が違うのだろうか? もちろん冒頭に書いたような言語の問題は大きいだろう。つい先ごろも加藤典洋氏が「海の向こうで『現代日本文学』が亡びる あるいは、通じないことの力」と題して日本の現代小説が翻訳されなくなることの危機を書かれていたけれど(新潮2012年9月号)、当然ながらこれはフィクションに限ったことではない。

それに対して、例えば先の東浩紀氏が代表を務めるゲンロンでは、新刊の『思想地図β3』に一部英訳をつけるなど意欲的な試みをしていてぜひ応援したくなる。ただ、ここでは言語以外のファクターを考えてみたい。実はそれこそが、僕の中で「ベストセラーの法則」とも言うべきものでもある。つまり、ここでいう差とは、「知の在り方」の問題のように思えるのだ。

先ほどのポピュラーサイエンスのジャンルで特筆すべきなのは、現場の第一線で活躍する科学者が最先端の科学的知見を、専門書ではなく一般書としてマスマーケットの「一般読者」(ここが重要)に語るジャンルが確立しているということだろう。さらにはサイエンスライターの層の厚さもある。サイモン・シンもそうだが、専門的知見の一番おもしろい部分を一般読者向けに「翻訳」して書けるサイエンスライターが豊富にいる。それを支えるのは、300ページにのぼるポピュラーサイエンス本を楽しみに読む、リテラシーと知的好奇心の高い一般読者の分厚い層だ。

それと同じことは「ネット系の啓蒙書」にも言えるだろう。ネット社会やネットビジネスの現場の第一線で活躍する人々が、それを「一般読者」に向けて語ることができている。逆に言えば、ともするとビジネス書として消費されるクリス・アンダーソンの『ロングテール』や『フリー』を、社会論や国家論まで射程に入れた啓蒙書として読み取れるマスマーケットが存在し、そこが「売れ筋」にもなっている。

たんなるビジネスハウツーやセルフヘルプではなく、現実に目の前で目まぐるしく変わる社会やビジネスと人間の関係性を、オープンな知の体系の中で捉え直し、「偏在する未来」をしっかりと見出していく。そうした態度だけが、本当のアクチュアルで開かれた「知」を担保するのだと僕は思っている。そしてある種の海外のタイトルは、そうした態度で作られている。それを探すのが、僕の役目だ。

◇知の再編成

例えば僕が「なぜ日本で翻訳がでないのか」と思うタイトルにデビッド・ワインバーガーの『Too Big To Know』やケヴィン・ケリーの『What Technology Wants』がある。ともにデジタル/ネットワーク時代の人類の知と社会の変容や、人類とテクノロジーとの関係性について書かれた一冊だが、彼らは一般読者の目線で透徹した思考を紡いでいく稀有な書き手だと言ってもいいだろう。

デビッド・ワインバーガーはハーバード大学法科大学院バークマンセンターのフェローだが、同時にマーケティング・コンサルタントとして活躍している。ケヴィン・ケリーはホール・アース・カタログやWIRED誌の創刊に関わってきた孤高のThinkerだ。そういった多様な出自の著者が一般読者に語りかけ、その思想を受け止める懐の深い読者が一定のマスで存在する世界を僕はいつも羨ましく思う。

そろそろまとめよう。ある種のジャンルで翻訳書がアクチュアルな知の領域を担えるのは、それが書き手の専門性や場の優位性に閉じこもっているのでなく、「一般読者」に向けて知を解放する目線を持っているからだ。日本で「専門的な知を一般読者向けに」となると、これまでは、ブルーバックスや新書・選書のたぐいになるのだろう。それよりもっと読み応えのあるものとなると、ともすると言論サークルや学術サークルという内輪に入り込んでしまうきらいもあったかもしれない。

本稿で再三使ってきた「開かれた知」「オープンな知」とは、言うなればマスマーケットを狙える知のことだ。好奇心旺盛でリテラシーの高い「マス」の読者に投げられる知。それは決して知の価値を減じることではなく、知のエンゲージメントを上げることに他ならない。グーテンベルクの時代に、本のまわりに手紙のネットワークが生まれたように、マスマーケットで受容され、語られ、引用され、文脈付けがされることで、はじめて本当のグローバルな知のネットワークが出来上がるはずだ。

日本でも、知のオープン化はどんどん進んでいるのだと思うし、何より本誌αシノドスが牽引するような、最前線の知を生活に身近な場で展開していくような試みは、出版という制度の中でも外でもますます広がっている。出版の中の人間としては、最先端の著者を見つけ、そのコンテンツをマスマーケット向けに翻案する態度とスキルを磨きつつ、しっかりと読み応えのある分量でそれを読者に届け、知的好奇心を満足させるような、著者=編集者=読者の生態系を作るという意味で、まだまだできることがあるだろうと自戒を込めて思う。

一方で、もはやそんなことを言うこと自体が傲慢な過去の遺物だという可能性もある。デビッド・ワインバーガーの『Too Big To Know』で語られている通り、現在は知の再編成が起こっている。書物という完結したメディアに閉じ込められたものだけが「知」ではなく、ネットワークの関係性の中でオープンな知が立ち現れてくるのだとすれば、編集者が本というパッケージに入れるコンテンツの取捨選択をすることの意義は今後ますます小さくなっていくだろうし、生態系をつくることに関与できる余地も少なくなっていくのかもしれない。

固定化され、特権化されるメディアに根ざした知ではなく、オープンに公開され、シェアされ、コラボレーションによって自由にリミックスされ、常に発展する知のあり方は、とても刺激的なはずだ。それこそが、『フリー』『シェア』『パブリック』から見えてきた世界でもある。

ただしそれは、来るべき「ネットワーク的な知」に僕たちが参画できれば、の話だ。つまり、世界的な知のネットワークに。その時にまだ、もしかすると「翻訳書」的なものの未来形が生まれる余地があるのかもしれない、とも思っている。

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松島倫明(まつしま・みちあき)

書籍編集者/NHK出版 編集局学芸図書編集部チーフエディター/1972年東京生まれ/一橋大学社会学部卒/1999年から村上龍氏のメールマガジンJMMやその単行本化などを手がけ、2004年からは翻訳書の版権取得・編集に従事。ノンフィクションから小説までを幅広く手がけている。代表的な作品に『フリー』『シェア』『パブリック』『Think Simple』『国のない男』『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』『BORN TO RUN』など。今年10月にクリス・アンダーソンの最新作『MAKERS 21世紀の産業革命が始まる』を刊行予定。
Twitter:@matchan_jp
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公共2.0 〜『一般意志2.0』と『パブリック』を接続する試み

奇しくも東浩紀氏の『一般意思2.0』と僕が編集したジェフ・ジャービス氏の『パブリック』という同時期に刊行された書籍がともに「公共」を主題に取り上げている。もちろん『一般意思2.0』は日本を代表する思想家が基本的に2009年からの連載をまとめたものだし、『パブリック』はアメリカのメディア/ITジャーナリストの本なので、刊行にいたるまでの文脈やバックグラウンドは相当に違う。

でも一方で、情報化社会の深化を前提に、カントからハーバーマスやアーレントへ連なる近代的理性に拠る「公共」をもはや「非現実的」としてルソーにまで遡る東氏のアプローチと、ハーバーマスを批判的に継承しつつ新しい「パブリック」の創出を論じるジャービスのアプローチには共通性があるし、『動物化するポストモダン』以降の00年代的アーキテクチャ論(と僕が勝手に命名)を牽引してきた東氏と「テクノロジー決定論者」を自称するジャービス氏の距離はそれほど遠くはないかも知れない。加えて本書で「夢を語ろうと思う」と公言する東氏と確信犯的楽観論を繰り出すジャービス氏のメンタリティもシンクロしている。

そこで、二つの異同を概観しながらそれを接続する試みをしてみたい。抽象的な概念を弄した雑な議論になってしまうが、その射程は今後5年、10年の(東氏に言わせれば50年の)変化を見通すものになるはずだ。まずは『一般意思2.0』。

東氏の議論は明快で、近代以降、理想とされているような熟議民主主義は機能していないし、今後テクノロジーが進展して、例えばソーシャル・ネットワークがすみずみまで人々をつなげたとしても、直接制民主主義が復活したりということはありえない、なぜなら「熟議」がその規模で機能しないから、というものだ。つまり、一見SNSが熟議を促進するように見えて、それは限られたクラスタ内の均一な能力なり見識を持つ人々に限られるのであり、参加コストが高く、大きな公共圏にはなりえないというわけだ。東氏はここから小さな公共たちの集合としての複数の「一般意志1.0」を導き出す。

一方で、情報テクノロジーが僕たちをどこに連れて行ってくれるかというと、ビッグデータの世界だ。それは例えばグーグルの世界であって、無意識の欲望や意志が検索語となって膨大に蓄積されていく。その巨大なデータをデータマイニングによって分析すれば、そこには人々の無意識の一般意志が立ち現れるはずだ。それはもっともプライベートな情報が形作る「無意識の公共圏」であり、その巨大データベース=「一般意志2.0」に駆動される民主主義は無意識民主主義と名付けられる。

来たる社会はこの両者(一般意志1.0と2.0)が交わるダイナミズムが生みだす民主主義2.0となるわけだが、「公共」という観点から見るとそこには面白い逆転が起きている。アーレントは私的/公的という区分を動物的/人間的と対応させつつ、パブリックになることで人間は初めて「人間」になると説いた。しかし民主主義2.0の社会においては、「私的で動物的な行動の集積こそが公的領域(データベース)を形作り、公的で人間的な行動(熟議)はもはや密室すなわち私的領域でしか成立しない」のだ(これをローティをひいて論じる部分はスリリングで面白い)。

これを『パブリック』の側から読むとどうなるのだろうか。僕には本書が民主主義2.0への変化の指南書のような位置づけにも思える。ジェフ・ジャービスはハーバーマスの公共圏(public sphere)と公共の領域(the publics)の位相を引き受けながら、ただひとつの公共圏よりも、多数の「僕たちの公共の領域」を擁護する。そしてネット時代に「バラバラの争点をもつ無数の公共の領域」に人々が移行することを憂えるハーバーマスを批判するのだ。これは明らかに、単独の公共圏における熟議民主主義の限界と「複数の一般意志1.0」を導きだす東氏と同じベクトルになる。

では一般意志2.0についてはどうだろうか? もちろん東氏のこのユニークな議論をそのままトレースするような記述は『パブリック』にはないし、パブリックを「コラボレーション」「市民による市民のためのツール」とするジェフ・ジャービスには「動物的データベース」という視点はない。一方で、ガバメント2.0的なビッグデータの活用についてページを割いているし、購買履歴をシェアするサービスBlippy(今ではレビューサイトになっている)のことを「スーパー・パブリック・カンパニー」として取り上げるなど、「人々の欲望を記録してデータベースをつくる」ことが新たな価値を生むことについてはむしろ過激な立場をとっているとも言えるかもしれない。

ジャービス氏の主張は明快で、「パブリックにすることのメリット/デメリットを考えた時に、そのメリットはデメリットを上回る」というものだ。生まれた直後からの診療記録がすべてまとめられてデータベース化され医療機関でシェアされるのは、「気持ち悪い」という人もいるかもしれないが「そんな便利なことはない」はずだ。自分の居場所をいちいちチェックインするのは「理解不能」かもしれないが、その集積からは新たなマーケティングや都市計画や需要が発見されるかもしれない。ツイッターのトレンドワードを追うことでインフルエンザの伝播経路や株価や映画の興行収益や選挙結果がかなりの確度で分かることはいまや有名だ。僕らがより多くのデータをシェアすれば、それがビッグデータとなって有用に使われる「可能性は高まる」。

そのために彼は「パブリックの守護者」を自任する。プライバシーの価値は充分に認めているし、プライバシーには守護者がたくさんいる。しかしパブリックの価値を守る人はいない。データベースが人間的であろうが動物的であろうが、そのデータをどうやって集めるのか? 僕らはどこまでデータを出す(意識/無意識によらず)べきなのかについて、「パブリック側」の守護者も必要だ、とうわけだ。プライバシー議論はますます盛んになり、無意識の一般意志が立ち現れるはずの巨大データベースの構築をあらゆる面で阻止しようとしている。東氏はある意味でリバタリアン的な市場主義によって無意識の欲望が自ずとデータベース化される社会を見ているが、現実にはビッグデータの活用は社会規範や法律や政治や慣習が複雑に絡まりあった茨の世界だからだ。

その議論の先には、やはり公的/私的の枠組みの変化がある。ジェフ・ジャービスはあくまでも「僕たちの公共領域」=一般意志1.0に可能性を見出しているけれど、そのために整備するべき「パブリック」のあり方は必然的に一般意志2.0を準備する。東氏は一般意志1.0を「mixi民主主義」、一般意志2.0を「グーグル民主主義」と対比させ、それらのダイナミズムから生まれる民主主義2.0を「ツイッター民主主義」と名付けている。ジャービスがパブリックのツールとして信頼を寄せるのもツイッターであり、東氏がニコ動をひきあいに説明したダイナミズムとまったく同じ議論をPodcastとTwitterを連動させる経験から描きだす。例えばジェフ・ジャービスのブログ「BuzzMachine」のポストにもあるような #OccupyWallStreet や #fuckyouwashington といったハッシュタグへのジャービスの信任は、明らかに意思の集積としての一般意志2.0の予兆を読み取っていると言えないだろうか。

『パブリック』の副題にある「開かれたネットの価値を最大化」するというのは、これまで私的な領域にあったものを公的領域に押し上げることで、新たな価値=一般意志が生まれてくる、という方向性としても読めるだろう。両著に共通するのは、ネットとテクノロジーによる新しい「公共」の誕生であり、それが従来の特権的な公共圏を解放したり民主化するというよりは、新たな回路による公共2.0的なものを創出しつつあって、今後社会はそれを前提とした調整、再編成が必要であるというメッセージだ。『パブリック』にはその現在進行形の議論が個人・企業・政府といった各プレイヤーの視点から描かれていて、『一般意志2.0』はその思想的グランド・デザインが描かれている、と言えるだろうか。2冊を続けて読むことで頭の中が刺激され整理されて面白い。

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巷には脳の本が溢れていますが、本当は脳の仕組みは複雑で、水の入ったコップを持ち上げる動作ですら、どうして脳が知っているのか解明できていないのだとか。
本書は本当に脳科学の世界で証明されている研究成果だけをもとにして、シンプルだけどとっても強力な脳の仕組みを「ブレイン・ルール」として紹介します。
 私たちの生活は、脳にとって最悪の職場環境、記憶と学習に逆行する学校のカリキュラム、睡眠リズムを無視した生活サイクル、脳では対処しきれないストレスなど、ことごとくブレイン・ルールに逆行しています。数百万年かけて進化してきた脳は急にはこの現代生活に適応できません。私たちが、脳のルールに従って、実生活を変えていかなければならないのです。今からでも遅くはありません! 

脳を鍛えるには運動しかない!

「脳を活かす~」式の本が巷に溢れていますが、最新の脳科学が証明する身も蓋もない事実はズバリ──「運動すれば脳はよくなる」だ。しかもさまざまな面で。運動は、体のためよりもまず第一に脳のため。これは、読んだ人の人生を変える一冊だ。

◎運動をさせた子どもは成績が上がる。

◎運動すると35%も脳の神経成長因子が増える。
◎運動することでストレスやうつを抑えられる。
◎運動で5歳児のIQと言語能力には大きな差がでる。
◎運動する人は癌にかかりにくい。
◎運動を週2回以上続ければ認知症になる確率が半分になる。 

 アメリカ・イリノイ州のとある学区では、朝の授業の前に「0時間体育」の試みを始めたところ、参加する生徒の成績が上がった。しかも、0時間目の直後に受けた1時間目の教科にとくに顕著な効果が現れた。その理由は──予想もしなかった運動と脳の関係にあった。

 運動すると気分がスッキリすることは誰でも知っている。けれどもなぜそうなるのかわかっている人はほとんどいない。本書は「運動と脳」の関係に神経科学の視点から初めてしっかりとメスを入れ、運動するとなぜ学習能力が上がるのか──のみならず、ストレス、不安、うつ、ADHD、依存症、ホルモン変化、加齢といった人間の生活・人生全般に影響を及ぼすのか、運動がいかに脳を鍛え、頭の働きを取り戻し、気持ちを上げるかを解き明かす。


「この10年、脳についてたくさんの本を読んできたけれど、本書はもっとも役に立つ1冊だ」

(ドナルド・ミッチェル:amazon.comトップ10レビュワー) 

あなたはなぜ値札にダマされるのか?


『あなたはなぜ値札にダマされるのか?
 〜不合理な意思決定にひそむスウェイの法則』

オリ・ブラフマン/ロム・ブラフマン著 高橋則明訳

 いま話題の行動経済学をわかりやすく読み解いた翻訳書。行動経済学とは、合理的な人間(ホモ・エコノミクス)を全体とした従来の経済学に対して、時として不合理な判断をする人間の心理を取り入れた経済学のことで、2002年にダニエル・カーネマンがこの分野でノーベル経済学賞を受賞したことで注目され、ここにきて一気に出版ラッシュの様相を呈している。2008年4月に『経済は感情で動く』が日本でも刊行されて一気に火がついた形だ。ダニエル・カーネマン自身の企画をはじめ、さまざまなタイトルが出版に向けて水面下で動いていたけれど、イタリア本翻訳が行動経済学本ラッシュの機先を制するとは思っていなかった。
 本書の原書『Sway: The Irresistible Pull of Irrational Behavior』は2008年6月にアメリカで刊行されてニューヨークタイムズのベストセラーになている。また2008年2月にアメリカで刊行されてベストセラーとなった行動経済学本の邦訳『予想どおりに不合理』が11月末に刊行されて、「予想どおりに」日本でも売れている(アドバンスの額が全然違うのだけれど。早川書房さんはここら辺の分野のタイトルをかなり取っていると見受けられる)。『経済は感情で動く』の第二弾も刊行されるみたいで、まさに今は百花繚乱状態だ。

 さて、本書の原書のタイトルである「SWAY」とは、揺れる、傾く、ぐらつく、といったニュアンスでなかなか日本語にするのが難しい。でも本書はこんな微妙な心理の揺れから、いくらプロフェッショナルな人間でも不合理な行動に陥りやすいのだということを、分かりやすく解説している。日本語版ではそれを「スウェイの法則」と捉え直し、行動経済学だけにとどまらず、最新の神経経済学や著者の専門領域である行動心理学からも知見を援用しつつ、8つの法則に落とし込んでいる。(↓こんな感じ)

■損失回避の法則
 損失の可能性をなんとしても避けようとする
■コミットメントの法則
 ある物事に時間や労力やお金をかけたあとでは、それがうまくいかないとわかっても、止めることができない
■価値基準の法則
 客観的なデータではなく、最初の印象にもとづいて人やものの価値を判断する
■評価バイアスの法則 その1
 ひとたびある物事に評価をくだすと、それに反する証拠が見えなくなる
■評価バイアスの法則 その2
 評価ラベルをつけられた人は、実際にラベルどおりの特徴を身につける
■プロセスの公平性の法則
 結果の損得よりも手続き上の公平性を重視する
■金銭的インセンティヴの法則
 報酬の可能性をちらつかされると、かえってモチベーションが下がる
■グループ力学の法則
 四人に三人は、まちがいだとわかっていながらも大多数の意見に従う

また、豊富なエピソードと実験でおもしろく読み進められるようになっている。(↓こんな感じ)

【思わず誰かに話したくなるエピソード】
模範的なKLM機長はなぜ管制塔を無視して大惨事を起こしたのか
電話料金で割高な固定料金制を誰もが選ぶのはなぜなのか
「クイズ$ミリオネア」の観客はなぜ間違った解答を教えるのか
イラク戦争が泥沼になる理由
ドラフトの指名順位が入団後の選手の運命を変える理由
躁鬱病が10年で40倍も増えた理由

【思わず誰かに試したくなる心理実験】
競売で20ドル札を204ドルで競り落とす心理
世界有数のヴァイオリニストが地下鉄構内で演奏しても誰も気がつかない理由
安物のIQドリンクで生徒の成績が落ちる理由
自分を年寄りだと思っている老人は本当に早く老ける理由
ただで20ドルをもらえるのに断固として断る理由
吊り橋の向こうに待つ女性に恋をする理由
1問正解につき3円の報酬付きテストで正解率が下がる理由

 興味がある方は、まずはこのページにあるプロモーションビデオをチェック!

エイミー・ベンダーの会


 元角川のYさんに誘われてエイミー・ベンダーの会へ。今年邦訳3作目となる『わがままなやつら』が刊行され、担当編集者のYさん、翻訳をされた管啓次郎さん、『私自身の見えない徴』や『燃えるスカートの少女(文庫版)』の装画を描かれた山田緑さん、写真家の藤部さんに、エージェントのマリオさんという陣容に混ぜていただいた。下北のトロカデロハウスで気持ちのいい時間を過ごす。管さんが楽しげにRICOHのデジカメ、GRで写真を撮られていたのが印象的。そういえば前日は三浦展さんが同じカメラを持っていた。