翻訳書の現在〜マスマーケットと開かれた知:アルファ・シノドス “α-synodos” vol.106+107

ご縁があってsynodosのメールマガジン「アルファ・シノドス “α-synodos” vol.106+107」に寄稿しました。有料のメルマガですが、次号発行以降なら転載可ということでもともと許可をいただいていて、この週末にデジタルガレージさん主宰の The New Context Conference 2012 TokyoでJoiさんのお話を聞いていてふと思い出したので転載します。とにかくいただいたお題が難しく、議論がやや散漫で晒すのは恥ずかしくもあるのですが、これが今の自分の力量と諦めて、ちゃんと残しておこうと。荻上チキさん、編集の河村信さん、本当にお世話になりました。

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synodos mail magazine

知性を高める情報メルマガ
アルファ・シノドス
“α-synodos”

vol.106+107(2012/8/25)

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★今号のトピックス

1.政治の競合モードを再考する
………………………吉田徹

2.早野龍五氏ロング・インタビュー2(聞き手:荻上チキ)
――原発事故後、なぜ早野氏は「黙らなかった」のか

3.対談/熊谷晋一郎×荻上チキ
誰のための「障害者総合支援法」

4.不充分な教育の代償
………………………畠山勝太

5. 対談/川口有美子×荻上チキ
「尊厳死」〜生と死をめぐる自己選択

6. インタビュー/ホンマタカシ(聞き手:永井雅也)
撮ることそれ自体――もう一つの見方

7. 翻訳書の現在 〜マスマーケットと開かれた知
………………………松島倫明

8. インタビュー/樽本周馬
国書刊行会《未来の出版、未知の編集》

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chapter 7
松島倫明
翻訳書の現在 〜マスマーケットと開かれた知

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思想書や難しい本は売れないというのは本当だろうか?
ネット時代の基本思想書3部作『フリー』『シェア』『パブリック』
の編集者による来るべき時代の、市場と知の新しい関係
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◇版権取得

今日もひとつ、ビッグタイトルをオークションで逃した。アメリカの超有名大学の某ラボの所長が描く、イノベーションを起こす21世紀型組織の作り方、といったテーマで、内容構成のプロポーザル(原稿はまだ1文字も執筆されていない)を読む限り、resilience、agile、pullといったキーワードとともにこれからの価値観とクリエイティビティの変容を捉えた刺激的な提言が詰まっていた。2年後に刊行予定のこのタイトルへの注目は当然のことながら世界的に高く、日本でも各出版社が翻訳権のオークションに参加し、高額ビッドの末にどこかの出版社へ落札されていった。

こうしたビッドによる版権取得は翻訳書出版においては日常の光景で、編集者にとってはタイトルの狩猟とともに、オークションを勝ち抜くべく社内を説得し賭け金を確保することも大事な仕事のひとつとなる。マスマーケットを狙って誰もが「勝負できるタイトル」だと思えば当然ビッドも白熱し、最後は各出版社の読みと体力勝負になっていく。今回がまさにこのケースだったわけだ。

翻訳書の出版において、もっともユニークかつ重要なのが、この「版権取得」だと言える。版権取得編集者という専門職をおく出版社もあるほどだ。毎日のように国内外のエージェントや海外の出版社から新しいタイトルの紹介がPDF添付のメールで送られてくるし、年に数回は海外のブックフェアに行って、向こうの権利者と次々とミーティングを交わして大量のタイトルを狩猟する。

それらはたいてい、本国でもまだ刊行前のもので、原稿段階で検討することもあれば、冒頭のようにまだ企画段階のプロポーザルが検討用資料ということもある。それだけをもとに「買い」を判断し、時には10万ドル以上のアドバンス(印税前払い)を提示していくのだ。

主に英語圏のタイトルの千本ノックを受けていて日々思うのは、その圧倒的な質と量だ。日本は世界でもっとも海外の書籍を翻訳して出版している国だと聞いたことがあるけれど、膨大な数の海外タイトルを日々検討して取捨選択してビッドしている現場から見れば、日本で実際に翻訳され出版されているタイトルなんて、ほんの上澄みに過ぎない。

そのことは編集者としてもったいなく思うわけだけれど、同じように「もったいない」と思うのは、せっかくこうしたセレクションを経て刊行された翻訳書でも、日本のマーケットで正当に認知されないまま書物の海に埋もれてしまうことがままあることだ(いわゆる「なんでこの本、日本では売れてないの!?」というやつだ。その先には「なんでこの本、日本では刊行されてないの!?」というバージョンもある……)。

◇一方通行

もちろん理由はたくさんあるだろう。ただそのひとつには、日本国内の言論の生態系なり知の体系が、海外と接続していないことが挙げられるはずだ。膨大な情報を受容はしているし翻訳もしているけれど、こちらからのアウトプットを輸出する機会が殆どない。有り体に言えば一方通行だ(それが辺境としての日本という国の成り立ちだとも言えるかもしれないが、ここでは深入りしない)。

『知はいかにして「再発明」されたか』(イアン・F・マクニーリー/ライザ・ウルヴァートン著、日経BP社)の中で、「グーテンベルク時代の始まりには、本よりもそれについて交わされる手紙による知的議論により権威があった」というくだりがある。本を文脈として位置づける相互のオープンな接続がなされることで、知識のネットワークが生まれ、海外の本も国内の文脈の中に有機的に結びつけることができたのだろう(それは現在のネット時代の知のメタファーにもなっている)。

その後、こうした知のネットワークは専門の分化と専門家の登場によって崩れ、新たにアカデミズム的な知の制度が誕生することになる。おそらく翻訳書の世界でも、制度化され閉じられた学術出版の世界では、相互参照システムがボーダーレスに働いているだろう。
だが、オープンな知の生態系、それこそ本誌シノドスが標榜するようなアクチュアルな領域では、アプリオリに文脈が整備されていることはなく、常にアクロバティックな知の再構築がなされなくてはならない。そして、オープンな知の生態系においては学術書よりもマスマーケットを狙った一般書にこそ、多様で開かれた本来の「知」が立ち現れるはずだ。そう思うのは、まさに翻訳書においてもっともアクチュアルで面白く、層が厚いのがこの領域だからでもある。

例えば僕が版権を取得した本で言えば、デジタル時代の新たな無料経済の可能性について書かれた『フリー』(NHK出版)がある。著者はデジタル/テクノロジー/サイエンス/カルチャーがクロスする領域を扱うWIRED誌の編集長クリス・アンダーソン。本書は「デジタル」「ビジネス」「マネー」といったジャンル分けも可能だけれど、その根底にあるのは「テクノロジーによって社会の大きなパラダイムチェンジが起こりつつある中で、次の時代を生きていくための思想」だ。

その後に続けて刊行した『シェア』(レイチェル・ボツマン他)や『パブリック』(ジェフ・ジャービス)も同様で、デジタルとインターネットの世界にもともと深くインストールされた原理が、社会を動かす下部構造となった現状を切り取っている。

『フリー』『シェア』『パブリック』が書店で並べられているのは「ビジネス書」のコーナーだろう。それでも「ネット時代の基本思想書3部作」と巷で呼ばれているように、この3冊が並ぶことで、西海岸的な楽観的テクノユートピア主義とリバタリアニズムを背景にした大きな潮流の中での、デジタルな国家・社会・経済・文化論のテキストとなっていることが読み取れるはずだ。つまりマスマーケットに向けて書かれたビジネス本の中にも、アクチュアルな知の領域を読み込むことができる。

◇ネット時代の基本思想書

そのことを的確に理解している一人が批評家の東浩紀氏で、3年前に『フリー』に寄せた書評では、「多くのネット関連の啓蒙書が、そのような観点から見ると新しい国家論や社会論に見えてきます。社会思想の専門家が人文書だけ読めばいい時代は、終わり始めています」(週刊朝日 2009.12.1)と結んでいる。そしてこの「ネット関連の啓蒙書」は、日本においては翻訳書がもっとも得意とする領域のひとつなのだ。

脱線になるが、東氏の同じ書評を今回読み返してみて以下の1文に目がとまった。「アンダーソンがこの新著で『フリー』をキーワードに描き出した問題、それは古い社会思想の言葉で言えば『公共性』の問題にほかなりません」。これは『フリー』から『シェア』、そして『パブリック』へと、各テーマが内包する問題意識をさらに掘り下げていった結果つながっていった一連の流れを、驚くほど正確に予言している。

面白いのは、この3冊はアメリカではまったくバラバラに刊行されたものだということだ。先ほど、翻訳書は文脈を剥がされて刊行されると書いたけれど、これらはそれを逆手にとって、まさに「3部作」という文脈を作り上げて日本で刊行したものだった。翻訳書の編集者がある種のキュレーターでもあるのはこういった意味においてであり、後に『フリー』のクリス・アンダーソンと『シェア』のレイチェル・ボッツマンは、ロンドンで行われたWIRED Conference 2011で共演しているので、この「キュレーション」自体がまた、必然にして予言的でもあった。

◇変化はすでに起こっている

さて、話を戻して、新しい知のネットワークの中でマスマーケットを狙った翻訳書(例えば『フリー』は18万部のベストセラーとなった)がどうして面白いのかをもう少し考えてみよう。もちろんいろいろな視点があるはずだ。でも版権取得編集者としてまずは、コンテンツが生成する場、それもクリエイティブなコンテンツが生成する場を考えてみたい。

版権取得において僕がいつも心がけているのは、今後5年、10年の社会、文化、経済のパラダイムチェンジを描き出すような、長いパースペクティブをもったタイトルを見つけることだ。その理由は「本」というメディアの特性にもある。これだけリアルタイムのフロー情報が行き交い、情報の量もチャネルも爆発的に増えた現代において、本は情報の「ストック」としての機能を期待されている。

突発的な時事問題や雑誌の特集記事で事足りそうな内容を本にすることのリアリティは、どんどんなくなっている、と思う(雑誌以上、書籍未満の原稿量をパッケージにする電子書籍の動きがあるけれど、それはまた別の話として)。

ではそうしたパラダイムチェンジをどこでどうやって捉えるのか? ウイリアム・ギブソンの有名な言葉「The future is already here, it’s just unevenly distributed.」のとおり変化はすでに起こっている。それをつかまえることで今日的な「リアル」と切り結んだコンテンツとなるはずだし、そこから深い思索を導き出せれば、長いスパンのストック情報となっていくはずだ。

ではその「unevenly」に偏在する未来を最初に見られる場所はどこにあるのか? 例えばネット/デジタル社会やサイエンスの領域について言えば、やはりアメリカが真っ先に思い浮かぶだろう。

見方を変えると、ネットとグローバル化によって世界はよりフラット化しているように見えて(だからこそ)、リチャード・フロリダによれば、世界は今後ますます凸凹に分断されていくという(『クリエイティブ都市論』ダイヤモンド社)。その中で創造性の高い優秀な人材(クリエイティブ・クラス)が集中していく都市は「クリエイティブ・クラスター」と呼ばれるが、それは世界のどこなのかという問題だ。

◇一極集中

クリエイティブ・クラスとはアーティストやプログラマー、科学者、技術者、あるいは金融、法律の専門家などの知識労働者のことだとすると、その答えもまた、自ずと見えてくるだろう。例えば冒頭で挙げた注目のタイトルを執筆予定の某ラボの所長が日本人(と言えばお分かりだろう)でありながら英語で執筆することからも読み取れるように、ある分野のクリエイティブ・クラスはますます英語圏に集っている。ネットワークとコ・クリエーションが価値の源泉となる時代に、この流れはますます加速するだろう。

これは、ポピュラーサイエンスを例にとってもわかりやすい。このジャンルはやはり翻訳書が圧倒的に強い。それこそリチャード・ドーキンスやスティーブン・ホーキングにはじまって、『フェルマーの最終定理』のサイモン・シン、『エレガントな宇宙』のブライアン・グリーン、『パラレル・ワールド』のミチオ・カクに『ワープする宇宙』のリサ・ランドールなど、宇宙物理学、量子物理学、進化生物学、分子生物学、脳科学といった最先端の領域のタイトルが常に並ぶ。

つまり、未来が偏在する場所としてコンテンツ生成に適した場所であると同時に、クリエイティブ・クラスが集う(この2つはコインの表裏なわけだけれど)英語圏から、新しい知が現れてくるのは当然であり、だからこそ、翻訳書の出番があるのだと言える。実際に、翻訳書の編集者をしていて何よりも楽しく刺激的なのは、さまざまなタイトルを通してこうした偏在する未来を垣間見られたり、科学的に最新の知見に日常的にふれることができることだ(そのすべてを理解することはもちろんできないわけだけれど)。

ただ、翻訳書のある種の優位性を、こうした場や環境の問題に還元してしまうことは、もっと大切な論点を見過ごしてしまうことになる。たとえばクリエイティブ・クラスということでは、もちろん日本だって捨てたものじゃないはずだ。

先ごろアドビ システムズが発表した「クリエイティビティ」に関する意識調査(米、英、独、仏、日の5か国で実施)では、日本が世界でもっともクリエイティブな国だと見られていることが話題になった(ただしこれはあくまで意識調査として他国からそう「見える」というもので、明確な指標に基づくものではない。各回答を精査すると、逆の結果も見られる)。東京も世界で一番クリエイティブな都市、つまりクリエイティブ・クラスターとなっている。実際、ノーベル賞の数だって、胸を張っていいはずだ。

◇市場と読者

では日本においても最先端のコンテンツが次々と生成され、世界レベルでそれが受容されているかといえば、一概にそうだとは言えないだろう。何が違うのだろうか? もちろん冒頭に書いたような言語の問題は大きいだろう。つい先ごろも加藤典洋氏が「海の向こうで『現代日本文学』が亡びる あるいは、通じないことの力」と題して日本の現代小説が翻訳されなくなることの危機を書かれていたけれど(新潮2012年9月号)、当然ながらこれはフィクションに限ったことではない。

それに対して、例えば先の東浩紀氏が代表を務めるゲンロンでは、新刊の『思想地図β3』に一部英訳をつけるなど意欲的な試みをしていてぜひ応援したくなる。ただ、ここでは言語以外のファクターを考えてみたい。実はそれこそが、僕の中で「ベストセラーの法則」とも言うべきものでもある。つまり、ここでいう差とは、「知の在り方」の問題のように思えるのだ。

先ほどのポピュラーサイエンスのジャンルで特筆すべきなのは、現場の第一線で活躍する科学者が最先端の科学的知見を、専門書ではなく一般書としてマスマーケットの「一般読者」(ここが重要)に語るジャンルが確立しているということだろう。さらにはサイエンスライターの層の厚さもある。サイモン・シンもそうだが、専門的知見の一番おもしろい部分を一般読者向けに「翻訳」して書けるサイエンスライターが豊富にいる。それを支えるのは、300ページにのぼるポピュラーサイエンス本を楽しみに読む、リテラシーと知的好奇心の高い一般読者の分厚い層だ。

それと同じことは「ネット系の啓蒙書」にも言えるだろう。ネット社会やネットビジネスの現場の第一線で活躍する人々が、それを「一般読者」に向けて語ることができている。逆に言えば、ともするとビジネス書として消費されるクリス・アンダーソンの『ロングテール』や『フリー』を、社会論や国家論まで射程に入れた啓蒙書として読み取れるマスマーケットが存在し、そこが「売れ筋」にもなっている。

たんなるビジネスハウツーやセルフヘルプではなく、現実に目の前で目まぐるしく変わる社会やビジネスと人間の関係性を、オープンな知の体系の中で捉え直し、「偏在する未来」をしっかりと見出していく。そうした態度だけが、本当のアクチュアルで開かれた「知」を担保するのだと僕は思っている。そしてある種の海外のタイトルは、そうした態度で作られている。それを探すのが、僕の役目だ。

◇知の再編成

例えば僕が「なぜ日本で翻訳がでないのか」と思うタイトルにデビッド・ワインバーガーの『Too Big To Know』やケヴィン・ケリーの『What Technology Wants』がある。ともにデジタル/ネットワーク時代の人類の知と社会の変容や、人類とテクノロジーとの関係性について書かれた一冊だが、彼らは一般読者の目線で透徹した思考を紡いでいく稀有な書き手だと言ってもいいだろう。

デビッド・ワインバーガーはハーバード大学法科大学院バークマンセンターのフェローだが、同時にマーケティング・コンサルタントとして活躍している。ケヴィン・ケリーはホール・アース・カタログやWIRED誌の創刊に関わってきた孤高のThinkerだ。そういった多様な出自の著者が一般読者に語りかけ、その思想を受け止める懐の深い読者が一定のマスで存在する世界を僕はいつも羨ましく思う。

そろそろまとめよう。ある種のジャンルで翻訳書がアクチュアルな知の領域を担えるのは、それが書き手の専門性や場の優位性に閉じこもっているのでなく、「一般読者」に向けて知を解放する目線を持っているからだ。日本で「専門的な知を一般読者向けに」となると、これまでは、ブルーバックスや新書・選書のたぐいになるのだろう。それよりもっと読み応えのあるものとなると、ともすると言論サークルや学術サークルという内輪に入り込んでしまうきらいもあったかもしれない。

本稿で再三使ってきた「開かれた知」「オープンな知」とは、言うなればマスマーケットを狙える知のことだ。好奇心旺盛でリテラシーの高い「マス」の読者に投げられる知。それは決して知の価値を減じることではなく、知のエンゲージメントを上げることに他ならない。グーテンベルクの時代に、本のまわりに手紙のネットワークが生まれたように、マスマーケットで受容され、語られ、引用され、文脈付けがされることで、はじめて本当のグローバルな知のネットワークが出来上がるはずだ。

日本でも、知のオープン化はどんどん進んでいるのだと思うし、何より本誌αシノドスが牽引するような、最前線の知を生活に身近な場で展開していくような試みは、出版という制度の中でも外でもますます広がっている。出版の中の人間としては、最先端の著者を見つけ、そのコンテンツをマスマーケット向けに翻案する態度とスキルを磨きつつ、しっかりと読み応えのある分量でそれを読者に届け、知的好奇心を満足させるような、著者=編集者=読者の生態系を作るという意味で、まだまだできることがあるだろうと自戒を込めて思う。

一方で、もはやそんなことを言うこと自体が傲慢な過去の遺物だという可能性もある。デビッド・ワインバーガーの『Too Big To Know』で語られている通り、現在は知の再編成が起こっている。書物という完結したメディアに閉じ込められたものだけが「知」ではなく、ネットワークの関係性の中でオープンな知が立ち現れてくるのだとすれば、編集者が本というパッケージに入れるコンテンツの取捨選択をすることの意義は今後ますます小さくなっていくだろうし、生態系をつくることに関与できる余地も少なくなっていくのかもしれない。

固定化され、特権化されるメディアに根ざした知ではなく、オープンに公開され、シェアされ、コラボレーションによって自由にリミックスされ、常に発展する知のあり方は、とても刺激的なはずだ。それこそが、『フリー』『シェア』『パブリック』から見えてきた世界でもある。

ただしそれは、来るべき「ネットワーク的な知」に僕たちが参画できれば、の話だ。つまり、世界的な知のネットワークに。その時にまだ、もしかすると「翻訳書」的なものの未来形が生まれる余地があるのかもしれない、とも思っている。

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松島倫明(まつしま・みちあき)

書籍編集者/NHK出版 編集局学芸図書編集部チーフエディター/1972年東京生まれ/一橋大学社会学部卒/1999年から村上龍氏のメールマガジンJMMやその単行本化などを手がけ、2004年からは翻訳書の版権取得・編集に従事。ノンフィクションから小説までを幅広く手がけている。代表的な作品に『フリー』『シェア』『パブリック』『Think Simple』『国のない男』『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』『BORN TO RUN』など。今年10月にクリス・アンダーソンの最新作『MAKERS 21世紀の産業革命が始まる』を刊行予定。
Twitter:@matchan_jp
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