アンリ・カルティエ=ブレッソン

 恵比寿の東京都写真美術館に映画を見に行く。パトリス・ルコントの『DOGORA』、役者がいない、シナリオもない、言葉さえもない……、カンボジアという国を映像と音楽だけで捉えた一作。元彼女Jに教えてもらってぜひ見たいと思っていた。2001年の夏に僕とJはカンボジアに行った。その印象は強烈で、イメージと音楽だけで、至福の一時を過ごせると思ったのだ。懐かしいパトリス・ルコントの作品というのも興味があった。
 が、それは終了していたのだ。たしかにJから「客が4人ぐらいしかいなかった」と聞いていたので、早期打ち切りをされたのだろうか。で、代わりにやっていたのが『アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶』だ。そういえば会社に試写会の案内を送ってもらっていたのに見逃していた。それでこうして1800円払う羽目に。やれやれ。
 でも、結論をいうと、このドキュメンタリーはすごく面白かった(やっぱり試写会で早々に観ておくべきだった)。アンリ・カルティエ=ブレッソンのそのフレームというか構成美はやっぱり天才かつ伝説かつ20世紀のひとつの基準なんだな、と認識する。「写真のための人生」を否定し、「人生があるから、そこに写真が生まれる」というブレッソン。「写真は私にとって、一瞬とその永遠を捕らえる絶え間ない視覚への関心の自発的な衝動である」という彼は、テーマと形の美を追究し、決して過剰な主観を込めないことで、逆説的に濃密な物語性を獲得する。絵画的、被写体依存的だという距離の取り方もあるのだろうけど、あのフレームワークはそれが彼の主観と才能によって切り取られていることで充分に主観性を獲得している。実際、よく言われていることだけど、現像の際のフレームの残しの意味を、初めて体感できた気がする。ブレッソンが古典だとすれば(実際、サルトルとかマティスとかガンジーとかのポートレイトが出てくると、時間のうねりにクラクラする)、現在の写真家が確かにそこから踏み出しているのだ、というパースペクティブを持つことができた。
広告
  1. トラックバックはまだありません。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中