セプテンバー・イレブンス

 朝、会社にきて今日が9月11日だったことに気がつく。あれから5年……、といってだから何かがあるわけではないけれども、一人でしばし思いに耽る。僕たちがポスト911を生きている、ということの意味や、911から離れがたくこだわり続けなければいけない人々のことを。
 たとえば100年後の歴史の教科書には、911のことがどう書かれるのだろう、と時々空想する。アメリカの衰退の始まりの象徴的な事件として紹介されるのだろうか、あるいは中東の大規模再編成の端緒として、21世紀型宗教戦争の始まりとして、あるいは、何もない平和な時代の些細な事件として……。つまりだから、僕たちには「分からない」のだ。今を生きている僕たちには、911がどこに繋がっていくのか、まだ分からないのだと思う。
 あの時僕は、三軒茶屋の自宅のテレビで生中継に釘付けになった。アメリカでも中東でもない、まったく関係のない平和な国の、平和な一市民として、だけどあの時は確かに何かが起こっているという胸騒ぎと確信があった。その時、当時付き合っていた彼女から電話があって、僕が「今、アメリカですごいことが起きてる」と言うと、「ふぅ〜ん」という気のない返事が返ってきた。たぶんそれが、その時のリアリティだったんだと思う。
 でも、あれから確かに僕の身の回りは変わった。911後の世界について村上龍さんの対談本を出し、その絡みで映画『カンダハール』の主演女優との対談をきっかけにUNHCR山本芳幸さんと知り合って国連や難民やアフガニスタンなど多くのことを教えてもらった。一緒に緒方貞子さんに会いにテレビの仕事でNYに行き、グラウンド・ゼロでしばし言葉を失った。冷泉彰彦さんと知り合ったのもこの911がきっかけで、氏の連載「from 911/USAレポート」は6年目に突入し、今はこの連載が僕の中のアメリカとの距離感を計るのになくてはならないものになっている。冷泉さんが翻訳した『チャター:全世界盗聴網が監視するテロと日常』は、ポスト911のセキュリティ偏重社会に警鐘を鳴らすものだ。中東の本もたくさん読んだ。911以後、急にアメリカが愛おしくなってきて、旅にも出かけた。今でも、欧米では911やテロや中東の本がたくさん出ている。それらの原書を海外で紹介されるたびに、でも日本の市場ではもはやそれらが不人気で売れないことを、少し恥ずかしい気持ちとともに伝えなければならなかった。
 911をきっかけに人生が変わった友人もいる。そして、911を直接体験した人もいる。作家・写真家の小林紀晴さんは当時、ちょうどニューヨークに暮らしていて911に遭遇した。その時のことを話したり、書いたりすることは非常に難しいことで、だから人と共有するための表現方法を模索しているように思う。やっと、その当時のことを書き始めたのだと、このまえ教えてくれた。ニューヨークに住む友人たちの中にも、きっとそれぞれの911が、今も、5年経った今も、やっぱり何かしら、あるいは何ものでもないという形で、存在するのかもしれない。何しろ、それはいまだに「分からない」ものとして、僕たちの目の前にあり続けるのだから。
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