San Francisco > Sonora : 1st day

 なぜアメリカを旅したくなったのだろう、とずっと考えている。僕はアメリカが好きではなかったはずだ。尊大で、傲慢で、イラクとアフガンに両脚をとられてずぶずぶと沈みつつある黄昏の帝国……。僕の世代にとっても、アメリカは非常に困難な対象として、ある。その影響を色濃く残す70年代、バブルの中で、アメリカ型消費社会に比肩したかにみえた80年代、そして「失われた10年」と脱アメリカ化の90年代をへてもはや文化的には特別な意味を持たなくなった00年代……。
 だからこそ、僕はやっとアメリカとさしで対峙できるような気がしていた。アメリカという絶対的父性のかげりが、生の人間として向き合うことを促したのかもしれない。
 去年、駒沢敏器さんの『語るに足る、ささやかな人生』を読んで、アメリカのスモールタウン巡りに興味を持った。それに清野栄一さんの『オール・トゥモローズ・パーティーズ』では、ニューメキシコのアルバカーキとルート66が出てくる。まだ見ぬ内陸のレッドステートを回ってみたい。ケルアックの『路上』を学生時代に読了していらい憧れていた世界が、そこにはあるような気がしたのだ。
 16時発のノースウェストは遅延なく同日9:30にサンフランシスコへ。入国審査もAVISでのレンタカーのチェックアウトもスムーズで、11時にはサンフランシスコ空港を出発。空港から101号線でダウンタウンをかすめてベイブリッジを渡り、そのままインターステート80号線に合流してまずはサクラメントを目指す。インターステートハイウェイは基本的にとても混んでいる。サンフランシスコからはかなり離れたはずでも車はまだまだいる。サクラメントに着く前に12時をまわったので、どこだかわからないところで適当に1回80号を降りて、給油と昼食を済ませる。メキシカン・ファストフードのタコスは思いの外、美味しい。
 サクラメントからそのまま東へ向かってタホ湖をまわってからラスベガスへ南下するか、99号線から南へ向かってヨセミテを目指すかを迷っいていた。きょう一日で地図上のどこまで走れるのかが、感覚として捉えがたかった。サクラメントを通過する時点で、まだ午後13時過ぎだったこともあり、それなら一気にヨセミテまで行けるような気がしてハンドルを南に切った。99号も相変わらず交通量が多かったが、景色はだんだんと西部原野の様相を呈してくる。一面赤茶けた地面に常緑樹の緑が転々とする景色は何処かで見たことがあった。それはスペインのアンダルシア地方で、僕はヘレスからポルトガルの西の果て、サグレスまで車で走った時に、同じような景色をずっと眺めていた。ただその景色が与える印象はどこか違う。それは地面の色だ。スペインではその国土のほとんどが赤土に覆われている。バスクと海岸沿いや主要都市を除いたほとんどの国土が赤土なのだ。そこにこうした過酷な土壌で育つオリーブやブドウといった木々が生えている。サンフランシスコの赤茶けた国土にもブドウ畑(とワイナリー)が多く見られたが、その赤茶けた地面は下草でできている。だから起毛の心地よさというか、全体にその景色はスペインに比べて優しく思える。時おり出くわす放牧された牛や馬がいっそう景色が和ませる。
 2時を過ぎると睡魔が一気に襲ってくる。西海岸はエアの時間が短くて嬉しいのだが、その分機内で寝る暇もなくもう一度その日の午前中から始まってしまう。ほとんど徹夜で朝から慣れない国を運転しているようなものだ。初日ということもあり、またヨセミテ近辺に近づいた時にはもう4時になろうとしていたので、今日中のヨセミテ入りは諦めてそのまま99号から120号、108号と乗り継いで東に進み、SONORAという街で今日の宿を探すことにする。地図ではヨセミテから一番近くの「宿がありそうなぐらいには大きな街」だからだ。といっても車で行けば1分で街の端から端まで行けてしまうぐらいのソノラ(ソノマではあらず)。申し分ないほどのスモールタウンだ。
 宿はヒストリカル・ホテルと書かれていたGUNN HOUSE HOTELに。ヒストリカルという言葉に惹かれたのだが(1850年にGUNN一族が建てた建物がそのままホテルになっている)、それ以上に、その看板の下に書かれた「POOL」という文字に吸い込まれていった。プール・バー、つまりビリヤードができるのかと思ったのだ。で、料金は90ドル。モーテルの安宿暮らしの旅をするつもりだったので異様に高く感じたが、疲れ果てていたので「もういいやここで」の精神で即決。夕方を迎えてまだまだ暑い中、ビリヤードならぬプールサイドで、まったりビール+読書+ときどき泳ぎを楽しむ。温度計は華氏100度を指している。
 飛行機の中で読み始めたケルアックの『路上』に引き込まれる。懐かしい学生時代のバイブル。あの当時、僕らは毎晩のように車を走らせ僕らの「路上」に佇んでいた。少なくともそう思っていた。バブル崩壊のあとの廃墟に放り出された「打ちのめされた世代(ビートジェネレーション)」だと思っていた。僕はいま、ケルアックが目指した西の果てにいる。サンフランシスコから東に進んだ僕は、ニューヨークからデンヴァー経由でサンフランシスコに入ったケルアックとすでに一度交差している。僕は、いまだに路上にいる。
 ホテル近くのバーにビールを飲みに行き、コインテーブルのビリヤードを眺め、街唯一のマーケットに併設されたピザ屋で夕食。グラスワインは日本酒並みにテイスティンググラスなみなみまで注がれている。ピザもワインも美味しい。20時でもまだ明るいが、時差と疲れと酔いで沈没。
広告
  1. トラックバックはまだありません。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中