『ダ・ヴィンチ・コード』

 JMM土曜日版の冷泉さんの原稿が映画『ダ・ヴィンチ・コード』についてで、衝動的に観に行ってしまった。平日の午後にもかかわらず700席の館内はほぼ満席。でも一人だったのでいいポジションをキープ。どうも原作を映像で追いかけるような印象で、どこまでが映画で、どこまでが自分の頭の中で原作を基に補っているのかがもう分からなくなっていたけれども(いろいろ言われているように、確かに、原作を読んでいないと早い展開について行けないのかも知れない)、二時間半一気に楽しめた。
 冷泉さんは「ハリウッドとカトリック」という切り口でこの一連の現象を切り取られていて、カトリック叩きの背景に、穏健ユダヤ系とプロテスタント系リベラルがなんとなくハリウッドを牛耳っているという構図を提示されたり、宗派に根ざしたエスニック・グループ間の軋轢を指摘されたり、映画論としても社会時評としても大変興味深いものになっている。実際に、旧ソ連圏を含む世界中でボイコット騒ぎが起こっているし、インドでは一時上映刺し止め、タイではラスト10分のカットでコロムビアと係争(結局カットはなし)、フィリピンでは激しいデモによって、マニラでは上映禁止(!)になったらしい。さらに、米カトリック系団体「ヒューマンライフ・インターナショナル」は、配給会社の親元であるソニーの不買運動を呼びかけている。
 などなどネタは尽きないのなだが、ここまで書いて分かることは、日本にいると、これらの騒ぎがまったく実感できない、ということだ。キリスト教についても、エスニックについても、日本はほとんど文脈を共有していない。だから純粋に娯楽として、トンデモ本として楽しんでいるのだろうか。原作のネタ本となった『レンヌ=ル=シャトーの謎』は600ページ近くの大冊にもかかわらず書店に平積みになっているし、ナショナルジオグラフィック5月号の『ユダの福音書』とか(それにしてもタイミングが良すぎる)、同社刊『ユダの福音書を追え』は日本でも売れに売れている(いまamazonで見たら37位だ)。ニューヨークに行った時も書店で平積みになっていたけれど、きっと「読み方」が圧倒的に違うんだろうな、と思う。思えば2000年の歴史を有するこの宗教は偽書・偽史の巣窟なわけで、ただその中で「宗教を相対化する視点」を広く与えたことだけは、もしかして効用があったのではないだろうか、とまとめるといささか浅い読み過ぎるだろうか。フーコーのエピステーメーにささやかながら繋がるような、認識の枠組みの変化を迫るものであるならば、この世界的狂想曲が今世紀になんらかの足跡を残す余地があるように思う。
 それにしても、偽書・偽史ということで言えば、日本の習俗や民間信仰が仏教や神道にまとめられていく課程を京極夏彦あたりが上質のエンターテインメントにまとめあげたら、日本ではヒットするのではないだろうか、とも思う(もともと信仰心が少ないので無反応かもしれないけれど)。
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