『ウェブ進化論』

 H編集長に勧められ『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』を読む。読み始めてすぐに分かったのだが、これはいわゆる「テクノ・リベラリズム」の保守本流をいく一冊だ。10年前、『Digital Love & Peace』という(『STUDIO VOICE』の特集タイトルをパクった)卒論を上梓した僕にとっては、懐かしさとともに、学生時代に持っていたナイーブなまでの理想主義や楽観主義を思い出し、なんだか甘酸っぱい想いと居心地の悪さを持って読み進めた。60年代のニューレフトとLove & Peaceの思想、そしてパーソナルコンピュータの勃興はリンクしている。そこには「知の解放」「権力の民主化」という志向が絡まり合って、何か新しいものを生み出すかもしれない、という確かなムーヴメントがあったのだ。つまり、その思想は未だに脈々と続いているのだ、ということを思い知らされたわけだ。
 確かに、Googleに代表されるような「こちら側」「あちら側」というビジネスモデルの分類はスリリングで新しいトレンドを充分に予感させる。「Web2.0」「ロングテール」「不特定多数無限大」という概念も刺激的だ。でもそれは、アメリカ国防総省ARPANETから転用されたインターネットの誕生とか、パーソナル(個人の!)コンピュータの発明とか、ワールドワイドウェブという概念とか、ハイパーカード(懐かしい)とか、そういったそれぞれのインパクトからどれだけ違いがあるのだろう。技術的な発展にはいつもブレイクスルーがある。そしてその一つ一つに今までも「革命的」という修辞が使われてきたのだから。
 本書の要点はつまるところ、パソコンの「あちら側」に存在する「不特定多数無限大」への「信頼」という一点につきると思う。「ロングテール」というビジネスモデルも、「総表現時代」とされるブログの勃興やその秩序付けも、技術としては可能になった。でも本書では、そうした技術的なインパクトと、それが「知の進化」や「革新的なビジネスモデルの変化」に結び付くかどうかがやや混同されて(意図的かもしれないが)描かれていると思う。これらの技術によって達成されるのは、「知の共有」だ。「知の進化」ではない。情報の優先度や権威付けが「不特定多数無限大」に委ねられることは、手段であって、ある意味の「民主化」ではあっても、それがどのような結果を生み出すのかどうかには、もう一段、二段の丁寧な議論の組み立てが必要なように思う。既存のメディアの権威付け機能(既得権益)が脅威に晒されている、という議論も展開されているが、それは参入障壁の撤廃と機会の平等、それにフェアで苛烈な競争を招きこそすれ、逆に「質」が問われることで(ある種の)メディアの地位が上がることになるような気もする(必ずしも今の大手メディアではないにしても)。素人が趣味で書いた秀逸な文章(フィクションであれノンフィクションであれ)と、物書きが身を削って紡ぐ文章とが同列に扱われることには、創作の現場を間近で見る立場としては違和感を感じざるを得ない。それに、どうやってそれをビジネスに結びつけるのかは、明らかにされていない(それが次のブレイクスルーということなのかもしれないが)。これではビジネスにおける「こちら側」(のリアル経済)と「あちら側」(の民主的でささやかな経済)に過ぎなくなってしまう危険性もある。
 ただ、著者もあとがきで書いているが、このDigital Love & Peaceな論調は確信犯で、若者への自らのコミットメント体験によってエクスキューズされていて、そこの部分で僕の違和感は解消された。確かに既得権益を忌避し、楽観的で底抜けの信頼感によって生まれた人類の資産はたくさんある。このMacだって、ウェブだって、リナックスだってそうやって発展してきた。だから細かいことは抜きにして、シリコンバレー流の思想で若者を鼓舞することは、一面では外部経済効果があるし、共感できるのだ。渋谷のブックファーストで総合1位になっているのもうなずける。
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