映像と写真の現在

 久しぶりに映像ジャーナリスト・後藤健二さんから電話をもらう。数年前、当時UNHCRを退官されたばかりの緒方貞子さんの仕事がらみ知り合い、その後DVDブックとビデオを一緒に作った。ちなみにこの本はUNICEF協会の後援だ。後藤さんはフリーながら、国連諸機関などとも連動しながら世界中の紛争地や様々な問題を抱えるその現場へと足を運んでいる。
 今、後藤さんは、JICAの仕事で中東、アフリカ、中米と飛んで、「人間の安全保障」に関わるドキュメンタリー映像を制作中だという。アフガン、イラクなどの中東では人道援助、リマなどアフリカでは開発援助、中米エルサルバドルでは災害援助がそのテーマだ。「人間の安全保障」とは、緒方貞子さんとインド人経済学者アマルティア・セン氏が共同議長を務めた国連委員会で2003年に採択された新しい指針。従来の「安全保障」という概念を、人間の自由を中心に据えて多元的に構築し直したものだと言えるだろう。テロや紛争、貧困という問題が頻出する21世紀において、安全保障とは軍事的なものだけではなく、人道、開発、復興、教育、経済など多面的かつ複合的なものになるはずだ。……と、言っても言葉だけでは抽象論で得てして空虚にすら響くこれらの言葉を、実際に現地で映像として収め、多くの人の目に触れさせることができる後藤さんのような映像ジャーナリズムは本当に貴重だと思う。
 今回の映像は後藤さんとJICAのダブル・ライツなので、何かJICA内部だけではなくて他にもアウトプットの仕方がないだろうか、といような話をしたのだが、そこでふと映像と写真の違いに思いが馳せる。ちょうど『STUDIO VOICE』の最新号で写真評論特集を読んでいたからかもしれない。この手のジャーナリズム映像は、テレビの中では本当に無尽蔵に消費されていく断片の一つに過ぎなくなる。一方で出版の人間にとっては写真のほうが圧倒的に近いし、その利点はやはり「残せる」ということになるのかもしれない。
 もちろん映像だって今はDVDで簡単に残せるし、映画のようにパッケージングしてもいいだろう。でも、実は映像に費やす人間の時間感覚はとても短いように思う。本だったら飛び飛びにせよ(だからこそ)一週間かかっても一冊を読み続けるが、映像だったら、2時間集中して観る時間を確保するだけでも現代人には大変な作業だ。だが、写真はにとってはその問題が劇的に解消される。10秒。いや、1秒でもいいや。それだけで語りうるものの多さ、という点で、写真に勝るものはないのではないだろうか。そしてその数秒の間に現れる像には、まざまざとその撮影者の刻印がなされている。後藤さんの映像も、そのような形になんとかできないだろうか、と話しながら思う。
 『STUDIO VOICE』で面白かったのが PETER KENNARDのインタビュー。ものすごいフォトモンタージュを数々作っている。現実世界が否応なくドキュメンタリーへと向き合わせるなかで、「アーティストがドキュメンタリーに走る一方で、ドキュメンタリー・フォトグラファーが意識しているのがギャラリーの壁だったりする」という。例えば Luc Delahaye の絵画的ドキュメンタリー。「何とかして新しい視点で作品をみてもらえないかどうか模索している」という点は本当で、「ある意味で写真家とアーティストが近づいているといえるんじゃないでしょうか」という言葉は示唆に富んでいる。
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