『下流社会』あるいはニセ団塊ジュニア

 渋谷のセンター街で振り袖姿の女の子たちをみかけて今日が成人の日だったことを思い出す。東京は今日は心地よい冬間の陽気だが、思えば僕らの時は10数年ぶりだかの雪の成人式となり、自分たちの世代の不運を呪ったものだった。というのも団塊ジュニアとして高校や大学受験は大変厳しく、それでいてバブルには乗り遅れ、高校の時は女子大生ブーム、大学に入ると女子高生ブームと、何かとツキのない世代だ、というぼんやりとした共通認識の、それは象徴的な出来事に思えたからだ。
 そんな僕らの世代は、三浦展氏によれば「ニセ団塊ジュニア」となるらしい。いわゆる第二次ベビーブーマーだが、実は両親は団塊の世代ではなくてその上の世代に属している、というのがその定義で、確かに自分を含め、多くの友人にも当てはまる。その三浦氏の『下流社会 新たな階層集団の出現』が売れに売れている。所得格差ではなく、コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲といった欲求が低く、結果的に下流階層が形成されているという論で、僕も遅まきながら年末に読了した。三浦氏はカルチャースタディーズ研究所を主宰するなどその鋭い分析とテーマ抽出で知られるが、まな板に載せられた世代の等身大の感想としては、「なんかうまくカテゴライズされちゃったな」という印象も持つ。
 先週の朝日新聞に堺屋太一氏と山田昌弘氏の対談が載っていて興味深かったのだが、それは現在の社会が「多様化」したのか「格差が拡大した」のか、という点でガチンコしていた。堺屋氏は、フリーターだって好きでやっているしそれで夢を追ったり(起業家からおたくまで)生活に困らない社会なのだから「多様化」だといい、山田氏は、彼らは好きでフリーターになっているわけではない、と真っ向から否定する。山田氏の論は言外に彼らがこの日本経済の失われた10年の犠牲者だと言っているようで、それはたぶん、景気回復がなされ雇用環境も改善する今後、その真偽が確かめられるのではと常々僕は注目している。
 新卒採用が増えフリーターが減ったら、やっぱり今までは時代(とその世代)の問題であり、彼らは軽やかにその世情に応じて自己の価値観を作り上げてきたということになるし、景気がよくなってもフリーターが多いのなら、それは「フリーター」という価値観が多様性の一つとして確立されたか、あるいは逆にもっと悪いことには、完全に上下格差が固定した社会として景気回復後の日本社会が屹立する、ということだろう。結局、村上龍氏がよく口にする、「格差を伴う多様性」、上下は固定しても、その中に多様性が確保されている、という状態だろうか。それは「下流社会」という言葉で果たしていいのかな。
 そんなことを書いていたら、新刊で香山リカさんの『貧乏くじ世代 の時代に生まれて損をした!? 』というタイトルの第二次ベビーブーマー論が発売された。こうも言われると「ほっといてくれ!」と言いたくもなるが、「「アンラッキーな世代」だとみずから宣言するのはやめよう」なんていう小見出しもあって、確かに僕らの世代のセンチメントを捉えているのかもしれない。これは読まずにはいられないな、と思わせるところが、やっぱり香山リカ。「プチ・ナショナリズム」とか「幸福格差社会」とか、あまりにあざとい後追いじゃないかい?
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