『となり町戦争』あるいは隣町としてのイラク

 第17回小説すばる新人賞を獲って、発売以後話題の『となり町戦争』(三崎亜記)をやっと読む。ある日、町内会の回覧板で「隣町と戦争を始める」という知らせが届き、音も光も気配も感じられず、現実としての実感もないままに「隣町との戦争」が進行していく。町役場から適地偵察を任じられた主人公は、「果たして本当に戦争は起こっているのだろうか」という疑問を抱いたまま、結局一度も戦争の「リアル」を見ることなく、戦争の一翼を担っていく、という筋書き。そのプロットの秀逸さには驚嘆せざるを得ない。書評か何かで見た瞬間に即買いした。
 「『私たち』が本当に戦争を否定できるかを問う問題作」とあるが、変わらない日常の中に「戦争」というものが「するり」と入りこみ得るのだということを、確かにこのプロットはよく物語ると思う。それほど私たちの自意識によって構築された「日常」というのは、脆弱で、あるいはオープンで可変的で観念的なのかもしれない。しかし、それ以上に考えさせられるのが、「となり町」という場所、距離だ。例えばイラクやアフガンは、僕らにとっては遠い異国だ。そこで起こっている戦争を、僕らはメディアを通してしか知らないし、戦死者やその家族の悲惨な現状を、数やニュースとしてしか把握できない。それは限りなくこの作品の「となり町」と同列にあると言わざるを得ない。結局、それは遠い中東で起こっているからリアルでないのではなく、隣町でおこっていたとしても同様で、どちらも遠い場所だとも言えるし、どちらも日常の延長に過ぎないとも言える。だとしたら「戦争のリアル」はどこにあるのだろう。そのことを問う批評性は抜群だと思う。書き手がもっと上手い人なら、このプロットでより素晴らしい作品になっただろう。
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