Malaysia-3rd day to Singapore

 目が覚めると9時を過ぎていて、朝食のバイキングに顔を出すとすでに11時近く、当然終わっていたのだが、コックがホッケンミーの残りを出してくれる。唐辛子の辛さを煮詰まったコーヒーでごまかしながらかきこむ。
 空は曇りながらも雨は上がっている。僕はカメラを片手に浜辺を散歩することにする。海は変わらず灰緑から茶色へのグラデーションを描き、波は高く白吹雪をあげている。浜辺には人影もなく、砂浜をどちらの方向に歩こうか考えて、とりあえず左、北の方向に歩き出す。砂浜には一筋だけ残った足跡が遙か先まで続いて、所々を波に洗われている。それは動物の足跡で、二匹が連れ立って歩いていったようだった。足跡の大きさは犬ぐらいを思わせるが、四つ股に分かれたカエデのような足跡は明らかに違う動物である。その足跡につられるように、僕は無彩色の砂浜を歩いていく。右手には波が足下まで打ち寄せ、左手は椰子や南国の濃い緑の大きな木々が生い茂って林となっている。
 足跡を追って10分ほど歩くと、不意に左手の林が大きく開けている。その木々の奥に、ディズニーランドのパビリオンのような原色のストライプの壁の安っぽい2階建ての建物が見えて、一瞬ビクっとする。それは、このマレーの自然の中で、あまりにも異質で不気味だった。しかも近づくと、窓のガラスは割れ、そこから外にはみ出たブラインドが、時折風に揺れてカタカタと音を立てている。薄汚れ、ガラスが割れ、色褪せ、もう誰も使っていないリゾート地のパヴィリオンのような建物。屋根には、色褪せた赤い旗がいくつかたなびいている。これはいったい何なんだ。僕はシャッターを切るべく建物に近づく。そこで僕の目の前に現れたのは、広大な一大リゾート施設の亡骸だった。目の前の壊れた二階建てはカフェとレストランのようだった。そのすぐ右奥には、ヘドロと腐った椰子の実が浮かぶ25メートルプールがあった。その奥には、4面のテニスコートに続いて広大な芝生が広がり、その周りを、500室はあろうかという6階建てのホテルがルーブル美術館のように囲んでいた。優に東京ドームより広い。そして無人だ。
 鳥の鳴き声が、この広大な敷地のどこかから聞こえる。背後では周期的に波の音が聞こえてくる。しかし、目の前のこの建物からは、一切の音が消されている。一切の時間も止まっている。遠く、雲がかかった空と超巨大ホテルのコントラストにクラクラしながら、僕はしばし呆然と立ちつくしていた。
 恐らくこのデサルーは、そう遠くない昔にリゾート開発の波が押し寄せたのだろう。シンガポールから一番近いマレーシアのビーチリゾート、という立地は、物価の安さも相まって、開発者にとっては魅力だったに違いない。しかし、この雨期には、その10分の1の規模もない僕の泊まっているリゾートホテルですら、客はまばらだ。曇天とスコールが一年の半分をしめるこんな巨大リゾートホテルを維持するだけの客は来なかったのだろう。ここデサルーの住人たちにとっては想像もできないくらいのお金と資源を使って建てられたこの一大リゾートは、そうしてうち捨てられ、誰からも忘れられて、マレーの海岸に横たわっている。
 浜辺の帰り道、時折林のほうから、バサン、バサン、と音がするので見上げて見ると、野生の猿が4匹、木々を飛び移りながら僕と同じ方向に移動していた。猫ほどの大きさのかわいい猿たちは、ファインダーを向ける僕のほうを見るでもなく、何かを探すように、次から次へと、木々を移動していった。彼らは、あの建物のことを知っているのだろう。もしかしたら、そこに住んでいるかもしれない。原生林を我が物顔で渡り歩く猿とあの無人のリゾートホテル。マレーシア南東端の季節はずれの海岸沿いには、人々から忘れ去られ、時間のとまったマレーシアの現実が残っていた。
 海岸沿いのハンモックに揺られながら金子光晴の『マレー蘭印紀行』を開いている。インド洋に浮かぶ珊瑚礁でできた小さな無人島に行った金子は、その美しい島が歴史や人間の営みといったものと一切かけ離れて、ただ、そこに、あるということに感嘆の言葉を残していた。食べることや寝ることや、仕事や、旅をすることや、国境とか、国とか、戦争とか、そういうことのすべてと関係なく、隔絶した場所に、その珊瑚礁の小さな無人島のように、あのホテルは、ただそこにあった。
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 デサルーのホテルから30分ほど車で行った港から、フェリーでシンガポールまでは40分ほどだ。出国審査を終えて船に乗り込むと、低くたれ込めた雲のかかる海をフェリーが進む。ビンタン島を過ぎると、遠くに摩天楼をたたえたシンガポール島が見えてくる。チャンギー国際空港の近くにあるフェリーポートで今度は入国手続きを行う。3日ぶりに、シンガポールに帰ってきた。一度チャンギー国際空港に荷物を預け、身軽な格好で中心部に繰り出す。チャイナタウンでニンニクとスパイスが効きまくった麺を食べて、まずは朝食以来の空腹を満たし、続けて足つぼマッサージへ。日本の半額だが、技術はそれほどでもなく残念。そこから15分ほど歩いて別のホーカーズへ向かい、一面に広がる屋台の連なりから迷ったあげくにまた中華の細麺を食べる。さらにそこを出た路上に広がるサティ(焼き鳥のようなもの)の屋台街で何本か買い、それを頬張りながら15分ほど歩いて、海沿いのマーライオン公園へ。多くの外国人とカップルが集まり、一大観光地、シンガポールに来たことを実感する。これで、まぁ第一回目のシンガポール体験はだいたいやり尽くした感があった。あとは、Jとまた来たときにでも、素晴らしいロケーションのおいしいレストランで夜景でも見ながらワインをあけたりするような、つまりそういう楽しみ方をしてもよいだろう。今回は、一人だし、服装もラフなので、そういうことはすべてパス。一流ホテルを冷やかしに行くのもパス。あとは、朝4時のフライト・チェックインまで、時間をつぶすために、バーやナイトクラブが集まる少し離れた繁華スポットへタクシーを走らす。
 モハメド・サルタン・ロードにはいくつものバーやレストランがひしめき、その中の、ガイドブックに載っていたバーに入る。そこでお酒を飲んで、その夜は終わりになるはずだった。しかしお店はまったくにぎわってなく、奥にあるコインテーブルのビリヤード台にも客はいない。一回分のコインを買って撞いてみるが、コインテーブルを一人でやっても面白くない。店を変えようと外に出て、ガイドに載っている別の店の扉を開けると、そこもがらがら。しかもダンスフロアもあるその店には、A-haかなんかがかかっている。とっさに扉を閉めて逃げ出す。落ち着き場所を探してうろうろしていると、ごきげんなテクノがかかるバーを見つけ、入り口に行くと、10時までは男性は入場無料+ワンドリンク無料とある。試しに入ってみると、これがまたがらがら。やれやれ。奥にコインテーブル台を見つけ、キューで手玉をついて所在なげにしていると、突然、声をかけられた。「ゲームやりませんか?」見ると、中国系、年の頃は20代後半。スーツの上着とネクタイを脱いだ格好に髪を金髪に染め、めがねをかけた好青年に見える。仕事帰りなのだろうか。「もちろん」といって8ボールを始める。この旅行で、初めて人と撞いた。1ゲーム目を取ると、こちらから名乗った。彼はショーンという名前だった。続けてあと2ゲームを取ると、彼は「一緒に飲みませんか」といって、店の前庭に僕を誘う。そこで改めて自己紹介される。彼はこの店の店長だった。前庭の建物入り口近くに置かれたテーブルの上にはウィスキーの瓶と水割りのセットがあり、彼は無造作に新しいグラスに水割りを作り、僕に薦める。乾杯。ここから僕のシンガポールナイトは急展開していく。
 一通りこの旅のいきさつを説明し、次々と水割りを空けながら彼の年や(26だった)暮らしぶりなど、シンガポーリアンの日常を聞く。その店には彼の知り合いがどんどんとやってくる。彼は「女友達を呼ぼう、朝3時までの限られた時間をエンジョイするといい」といってアヴィリンというマレー系に見える友人も来る。酒はどんどん注がれる。さらに友人が加わり、みんなで乾杯をして一気をする。あっという間にウィスキーのボトルは空き、僕は酔っぱらいになる。アヴィリンの友達たちがいるという歩いて3分のクラブへ繰り出すことになる。結局この店で、僕は1ドルも使うことがなかった。
 クラブではガンガンにテクノがかかっていて、アヴィリンの友達はいかにもという遊び人風の男たちで、ショーンの男友達たちは逆にこういったところに背伸びしてきているといった感じ。みんなの思惑をよそに、僕は昔取った杵柄で、この音に体をシンクロさせ、気持ちよく体を動かして踊りまくる。本当に楽しそうに踊ると周りにも伝わるもので、みんなが笑顔で目配せをしてくる。ショーンも、アヴィリンも楽しそうに踊っている。この二人は、否定しているが付き合っているに違いない。今、シンガポールでも屈指の人気クラブだという場所は華やかで幼稚で、懐かしく楽しい場所だった。最後の最後に、シンガポールのパワーにふれたような気がした。また必ず店に来いというショーンやアヴィリンに別れを告げ、僕は深夜、空港へ戻る。
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