Malaysia-2nd day ~Desaru

 街の喧噪に目が覚める。まだ8時過ぎだ。まどろみながら今日一日の予定を頭の中で思い描く……、が何も決まっていないことに気づく。今日一日は、まずどこに行って何をするかを決めるところから始まるのだ。そんなことを考え、面倒くさいからこのまままた寝ちゃおうか、と思いながら目をつむる。町の騒音は益々増し、ホテルの大きな窓から入る昼間の光線が、それでも否応なく目覚めへと誘う。窓の外を見ると、バトパハ河を越えてジャングル一帯まで、曇天が永遠に広がっている。雨期のマレーシアだ。
 フライド・クイティオというきしめん状の揚げ面の朝食を食べながらガイドブックをたぐる。マレーシアのガイドを一切持ってこなかったことをちょっぴり後悔する。バトパハからの選択肢はそう多くはない。明日にはシンガポールから出立するので、北上してクアラルンプールに行くにはちょっと時間がない。ジョホールバルは、昨日通過した時にはあまりおもしろそうな場所には感じなかった。治安がよくないというし、喧噪の渦中に埋もれる感じは、ちょっと耐えられそうにない。もうシンガポールに帰る、という選択肢もある。こうなったら、とことん金を使ってシンガポールライフを楽しむのも悪くはない。だが、僕はマレーシアのことを、ほんの少ししか知らない。おいしいご飯にもありついたとは言い難いし、この物価の安さは魅力だ。シンガポールだったらまたくる機会もトランジットの機会もあるだろうが、マレーシア側にはなかなか来るチャンスがない。できればマレーシアをもう少し回ってみたかった。地図をみるとククップという町が、バトパハの南、西海岸沿いをジョホールバルのほうにくだったところにあるのが分かった。というより、ジョホールバルまでの間に載っていたのはその町名だけだった。僕はホテルをチェックアウトすると、町のバスターミナルに真っ直ぐ向かい、いくつか並ぶバス会社のチケットカウンターで、「ククップ行き」を探した。しかし、それは見つからなかった。ククップがどういう町で、どのぐらいの大きさで、観光地なのか、海沿いなのか、考えてみたら全く分からないのだ。ここでチケットがあったら、僕はククップに向かっていた。そうしたら、その先にはどんな旅が待っていたんだろう。でもここにチケットは売っていない。知らない地名ばかりだ。仕方がなく、僕は唯一の知っている地名、ジョホールバル行きのチケットを買う。
 行きと同じ道を2時間かけてバスが走っていく。車中でもう一度プランを練り直す。今残された選択肢は、ジョホールバルからシンガポールに帰るか、国境を越えずに、着いたバスターミナルから再び別の町に行くか、どちらかだ。僕は何をしたい? 改めて考える僕の脳裏に、海辺でこの滞在記の続きをMacに打ち込む自分の姿があった。僕はゆっくりとしたかった。喧噪を離れ、落ち着いてリラックス出来る場所で、自分と自分の旅とこれからのことを、ゆっくりと考える時間を今僕は求めていた。そこには、マレーシアの自然と、海が広がっていなければならない。シンガポールの喧噪とコンクリートジャングルではない。そう思った僕は再びガイドブックから、ちょうどジョホールバルを挟んでバトパハの反対側、マレーシアの東海岸の南端付近に、デサルーという町を見つける。そこは、シンガポールから一番近いビーチリゾートで、知る人ぞ知る、でも近年外国人が来るようになった場所だと書いてある。自然のただ中にあって、ひっそりとこぢんまりとしたそのリゾートは、今の僕には悪くないような気がした。
 お昼過ぎにラーキン・バスターミナルに着く。降り始めた雨がその勢いを増して、ターミナルに停まる50台ほどのバスの屋根を叩いている。何軒かある食堂の一つでホッケン・ミーを食べる。今までで一番おいしい。50メートルほど連なるチケットカウンターを順番に眺めて、デサルー行きを探す。しかしこれも見あたらない。次々と話かけてくるダフ屋のような男たちの一人に、デサルー行きはないのかと尋ねると、デサルー行きはない、という。くじけずにしばらく歩き、また別の男に聞いても頭を横に振る。さらに別の男に尋ねると、バスはないからハイヤーで行くしかない。120RMでどうだと言われる。値段は大したことはないが、本当に大丈夫なのだろうか。少し用心しながらも、その話に乗ることにする。なんのことはない。その男が仕事を上がり、自分の車で乗せていくというのだ。マレーシアで、120RMは決して安くない。日本円で3000円以上だ。バトパハからここまでのバス代が7RMだったことを考えると、破格なのかもしれない。仕事を休んででも、これをこなしたいのだろう。僕はといえば、時間を金で買わなければいけない。バスがなければどのみちタクシーと交渉しなければいけない。昨日、ジョホールバルからバトパハまで、200RMで行くよとタクシーの運ちゃんに言われたことを考えれば、同じぐらいの距離でこの値段は、割と良心的かもしれない。僕は値段を再度確認し、その男が運転するマレーシア製のこぎれいな車の助手席に乗り込む。
 しばらく行くと、窓の外はひたすら椰子林が続く。丘を越えて、遙か先の先まで、椰子の木が整列して植えられている。昨日びっくりしたこの椰子林は、やはり人間の手が入ったプランテーションなのだ。聞くと、椰子油をとるためだという。ここジョホール州は、国内随一の椰子油の産地だという。行けども行けども続く椰子林。本当はここに何が植わっていたのだろう思うと、少し恐ろしい気持ちになる。恐らく濃密な原生林があったはずだ。そこをすべて焼き払い、あるいは刈り取って、こうした椰子林が原生林に成り代わっている。近代化の過程で、ここ一帯の河では鰐が絶滅した。度重なる人間への被害が開発の足かせになるという理由で、一頭一頭殺していったのだ。気が付くと、鰐は河に一匹もいなくなっていた。手つかずの自然のような相貌のなかに垣間見る人間の暴力。おだやかで人の良さそうなこの運転手やマレーシアそのものの中に孕む徹底した近代合理主義。運転手は道行く日本車を指さしては「日本車は如何に素晴らしいか」を力説する。「トヨタは技術力は一番だ。そして日本車は高い(日本で買う2倍ぐらいする)。でもいつかは買いたい」この自然と混沌のマレーの地にも、確実に「現代」がある。
  ●
 激しいスコールでフロントガラスの向こうが見えづらくなってきた頃、デサルーのビーチリゾートホテルに到着する。これで僕は、マレー半島の先端を西から東に横断したことになる。車中から電話で予約しておいたリゾートホテルは、オフシーズンで閑散としている。敷地の真ん中にプールがあり、それを取り囲むように多くの客室が並び、レストランとカフェとバーとコインテーブルがあって、夜はバンドが演奏してしまうような、どこにでもあるリゾートホテルだ。マレーシアの中では見違えるようなホテルだが、スタンダードなリゾートホテルの焼き直しに過ぎない。一泊の値段は、初日にシンガポールで泊まった格安ビジネスホテルよりもさらに安い。
 当たり前だが、こういうリゾートホテルに、一人で泊まる客はほとんどいない。フロントの綺麗なお姉さんに、「一人で来たんですか?」と言われて「そうだ」と答えると、「Enjoy!」と言われてしまった。「With you?」と聞き返そうかと思ったがもちろんやめる。オフシーズンの寂しいリゾートホテルで、僕は一層さびしいオーラを発散しているのかもしれない。雨脚が弱まってもいまだ薄暗い空の下、カビくさいツインの部屋で僕は一息つく。雨が降ると重い荷物を持ったバックパッカーは不利だ。自分では、このホテルの選択は正解だったと思える。これだけ寂しい場所ならば、異国の海を見ながら十分ゆっくりできるはずだ。
 敷地内のプールを越えて、海岸へと歩く。プールには大きな雨粒が踊るように波紋を作り、泳ぐ人は誰もいない。フィリピンのセブやモロッコのマラケッシュのリゾートホテルを想い出す。恋人や家族と来るべき場所。でも、今ここにもし二人で着いたら、きっとカップルの間には気まずい空気が流れるだろうな、と想像する。オフシーズン、雨、安っぽい「リゾート感」、文句なしのダメダメ旅行だ。新婚旅行だったら目も当てられない。でも今の僕には丁度良い。格安で静かなリゾート地、最高じゃないか。
 敷地を越えると、雨でかすむ視界の先に、綺麗な白浜が一面に広がった。灰色の雲が厚く低く立ちこめ、その下の海は遠く灰緑色から茶色へと色を変えながら砂浜へ打ち寄せる。波は高く、白く崩れる波頭が、唯一の色彩のように思える。目の前の白浜には足跡一つなく、ひっそりとその浜辺は佇んでいる。波が崩れる音、雨が地面や草木を叩く音、すべてが静寂の中に包まれている。遠くの方で10人ほどの少年たちがビーチサッカーをしている。その先、浜は大きく曲線を描いてはるか彼方の岬の突端へと続いている。この海の向こうには、インドネシアのビンタン島があるはずだ。雨雲とスモーキーな海と白浜の色彩のない景色の中、雨で霞む遙か海の先を眺めていた。
 不意に、この雲と海の混沌とした切れ間から、船の大群が押し寄せてくるイメージが浮かぶ。外国の軍隊が、この暗く色彩のない静かなオフシーズンのリゾート地に侵入してくるという考えが頭から離れない。もしかしたらスマトラ島地震の津波のイメージがかぶっているのかもしれない。でもきっと、それだけこの浜が静かだったからだ。この町や国や世界で何が起こっていようとも、この浜はずっとこうしてあったし、これからもあり続ける。その完璧な静寂と平穏を目の前にして、それをいつか突然に打ち破ってしまう外部からの異物のことに思いがはせる。それは、日本軍のように思えた。大東亜共栄圏の名のもとに、日本の軍隊は、こうして南アジアの国々に突如として現れたのだろうか。あるいは何百年もの昔から、華人たちはこうして船でこの国に上陸したのだろうか。東インド会社のイギリス人も、オランダ人も、突如、水平線の向こうに帆の先を覗かせ、このマレー半島にやってきたのかもしれない。金子光晴は、上海から中国船の2等客室でこのマレーにやってきたはずだ。西洋と東洋がぶつかる場所。さまざな人種が混淆して、濃密な色彩を放つ密林と、静かに佇む白浜の自然の中に混ざり合わさる場所。そうした異物は、常に海からもやってきたはずだ。そしてそれを最初に見つけるのは、案外こうした寂れた海岸の漁師だったのかもしれない。
 中華とマレーの文化をベースにした混淆料理、ニョニャ料理のバイキングでたらふく夕食を食べながら、僕はそのイメージを何度も反芻した。レストランには宿泊客が思った以上に集まっていた。日本人も多く、カップルも何組かいるようだ。ご愁傷様。
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