『「伝統」とは何か』

 大塚英志の新刊『「伝統」とは何か』(ちくま新書)を読む。大塚英志はお気に入りの書き手で、左というか戦後リベラリズム擁護派の書き手として、ほとんど唯一、信頼して読むことが出来る。もともと民俗学を専攻したという著者が、初めて(だと思う)民俗学を正面に据えながら、「伝統」という切り口から、現在の保守化する日本を批評した、非常に地に足のついた評論だった。
 「母性」「妖怪」「ムー大陸」というキャッチーなキーワードで語られる20世紀初頭の民俗学の勃興は、そのまま大正、昭和初期に連なる大日本帝国の伝統の創造期に重なり、柳田國男の民俗学を主にひもときながら語られる「伝統」の作られ方は非常に興味深い。
 例えば妖怪論について。現代でも、例えば京極夏彦の一連のシリーズによって、妖怪というものが、様々な相貌をもつ古来からの実態を持つ何かのシニフィアンであることが再三語られている。それは、仏教以前、日本が明治以降隠蔽してきた何者かであり、柄谷行人の「風景の発見」やフーコーのエピステーメーのように、事後的な意味の転倒が起きる以前に翻った時、そこには真のシニフェエが発見されうる、そういうものの代名詞であった。だが、大塚が言うように、そして言われれば容易に想像できることかもしれないが、初期柳田民俗学において、妖怪論、そして山人論は、つまりは多民族国家論であり、妖怪とはマイノリティの民族の呼称であったという。当初山人論を展開した柳田は、明確にこれを意識していたが、昭和に入り単一民族神話と植民地支配が進むにつれ、その主張は「語りにくいもの」として転向を余儀なくされていった。妖怪論とは、仏教以前の、古来日本の伝統を引き継ぐ何者か、にすり替わったのである。
 そう考えると、伝統とはすなわち多様性を隠蔽してその上に単一神話を打ち立てること、だともいえる。「母性」とは、江戸時代までのイエ制度、養子制度がふつうにあり、必ずしもイエ=血統ではなかった時代の多様な(しかし身分制度はあったが)イエのあり方を隠蔽するものだった(だから母性が叫ばれ始める昭和初期は、また母子心中が急増した時代でもあった。「郷土」とは、つまりは多様な民族のふるさとを示した言葉だったが、帝国主義の高まりとともに諸外国に目が向き、日本が領土的に拡張していくにつれて、「日本」こそが「郷土」となり、各地方はそのフラクタルで均質な疑似郷土となっていった。そういうことが、つまりは「伝統」なのだと大塚は語る。
 本書は、現代の日本がこの昭和初期と非常に似た状況であるという前提の上に、伝統というものが如何に作られ、流布していくかを語ることで、現代の右傾化、保守化を根底のところで認識するリテラシーを読者に与えようとする意欲作といえる。大塚は憲法前文の試訳など、わりと青臭い試みをしたりもするが、本書のような取り組みは、現代において、案外非常に有効なのではないかと思う。そういう意味で、啓蒙と批評が無理なく重なり合う、非常に良書だと思った。
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