『アフター・ダーク』

 カフカ後待望の書き下ろし小説『アフター・ダーク』は、予想通りというか、作家村上春樹の変化を顕著に表す一冊となっていた。それを「進化」と呼ぶべきなのかどうかは、正直この作品だけでは判断できない。ネット上でも「続編説」がまことしやかに言われているが、そのぐらい、「未消化感」は読了後に拭えない感触として残る。明らかに佳作なのだが、それが僕らをどこに運んでいくのか、が気になる。
 物語自体は、第三者的な(超越論的)視点によって語られていく。映画の手法、シナリオのような書き方でもある。そこに一晩で起こる出来事が、様々に場面をザッピングしながら(それは相変わらずの著者の特徴だけれども)進んでいく。ザッピングという言葉がふさわしいのは、文字通りブチブチと場面が切れていくということと、物語の語りが非常に映像的だということ、つまり読者=視者であること、そして、文字通り「テレビの向こう側」の世界が、一つの重要なメタファーとしてこの物語を規定しているからだ。
 高橋とマリの会話や人物描写が、今の若者として「あり得ない」という指摘もあるようだが、それは「村上春樹のキャラ」ということで不問に付したい。ただし、カフカの星野君ほどの愛せるキャラは出てこなかったし、全体の「救いのストーリー」が、やや軽い印象を受けた。人物描写も状況設定も「ゆるい」ので、そこに救いのメッセージの重さや、カタルシスのようなものが迫ってこない。おそらく村上春樹は、若者にこそ、この作品を読んでほしいのだろう、と僕は感じた。既存のハルキストよりも、今の若者、高橋やマリのように渋谷や眠らない街に入り込む(確信的にせよ、偶然にせよ、逃避先であっても)若者に、「不条理な夜のあとの光」を提示したかったのだと思う。そう、とてもありがちな話とメッセージを、凡庸で驚きのない方法論によって。
 朝日が差し込むとき、すべての夜の活動が一つの方向に落ち着き、終わり、まるでそんな一晩がなかったかのように、また新しい朝と一日が始まっていく、という感じ。一晩の徹夜の間に、本当にいろいろなことが、出来事としても気持ちの振り幅としてもあったのに、そのすべてをリセットするように、朝日が差し込んでくるその感覚だけは、すごくこの作品で書けているような気がした。具体的な文章としてではなく、作品全体から沸き上がる雰囲気として。まるでLSDをやって一晩過ごした後に、やっと抜けてくる朝のひとときみたいに。
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